ポリーニの新譜二枚

マウリツィオ・ポリーニの新譜が二枚出た。ようやく入手。一枚は最新録音のベートーヴェンで、もう一枚は七〇年代のライブが、今頃発売された。


 まず、最新録音のベートーヴェンソナタのCDから聴く。曲はすべて、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの中では、比較的マイナーな部類に入るだろう。射程はとても大きく、そこらあたりは七十歳の老人の演奏とは思えないくらいだが、ポリーニ自身、射程の大きさをコントロールしかねている様子も散見される。聴いていると、澄明な音にもかかわらず、自分の汚い部分を掘り起こしてくるので、愉快な演奏とは云えない。しかし、無下に一刀両断に切り捨てるわけにもいかない。それなりのパースペクティブがあるからだ。けれども、歳をとってポリーニは、何をとんがっているのかと思う。ポリーニ自身にも、ここからどこへ行くのかわからないのではないか。
 曲のことはまったく書かなかったが、ソナタ第四番op.7、第九番op.14-1、第十番op.14-2、第十一番op.22である。第十一番は再録音。あともう少しで、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの全曲録音が完成する。思えば後期ソナタに始まって、長いことかかったものだ。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第4番&第9番-第11番

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第4番&第9番-第11番

 もう一枚は、厳密にはポリーニだけの新譜ではない。曲はシューベルトの「冬の旅」全曲で、歌はかのフィッシャー=ディースカウである。一九七八年八月二十三日のライブ録音で、以前から名演としてよく知られている演奏だ。これまで、海賊版があった筈だし、You Tube にアップされているものは、自分も知っている。今回は、初の正規録音の登場となる。
 正直言って自分はこの曲をほとんど聴くことはないのだが、それは、この曲がつまらないからでは勿論ない。逆に、危険すぎてなかなか聴く気になれないのである。この演奏は、冒頭から恐るべき緊張感だ。全盛期のポリーニフィッシャー=ディースカウの気迫がぶつかり合い、胸が苦しいほどである。ピアノも歌手も凄いのだが、若きポリーニの演奏の幅の広さは、喩えようがない。寂寥感も安堵感も、ピアニッシモからフォルテシモまで、完璧に表現されている。しかし、「自動ピアノ」のような、無味乾燥なものとは対極的だ。ニーチェの言った、ギリシャ的悲劇、ディオニュソス的という表現がぴったりだろう。それとアポロン的な明晰さが一体となっているのだから、何とも、信じがたく天才的である。それに、フィッシャー=ディースカウだ。ポリーニに引きずられて、限界の見えない深さにのめり込んでいく。正直言って、これは何度も聴けるような演奏では、ないのではないか。
 この二枚のディスクを聴き比べてみると、ポリーニも遠いところまで来てしまったなと思う。最新録音も悪くないと思ったが、やはり七〇年代のポリーニは、真に天才的だった。
WINTERREISE

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山下達郎『OPUS』Disc2, Disc3を聴いて

OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜(初回限定盤)

OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜(初回限定盤)



先日、山下達郎ベスト・アルバム『OPUS』のDisc1を聴いたが、今日は仕事がヒマだったので、家へ帰ってからも含め、続きをまとめて聴いた。いろいろ思うところがあったので、簡単に書いておく。

 まず Disc2 だが、アルバムで云えば『MELODIES』(83)『BIG WAVE』(84)『POCKET MUSIC』(86)『僕の中の少年』(88)『ARTISAN』(91)の五作ということになる。個人的なことを云えば、これらは完全に同時代の音楽として「消費」したので、自分の無意識の中に組み込まれてしまっている。なので、正直言って、聴いていて新鮮さがまったくなかった。「クリスマス・イブ」とか、改めて聴いても確かに名曲ではある。しかし、今聞いてみると、全体的に、音楽づくりのデジタル化にそうとう手こずっているという感じが強くする。『POCKET MUSIC』など、完全にそれだ。それから、『ARTISAN』からたくさん入っているが、じつにバブリーな感じで、学生の頃を思い出してしまった。
 Disc3に入る。達郎自身、この間に断絶があり、アルバムは『COZY』(98)まで出ない。その後は、評判の悪かった『SONORITE』(06)、最近のRay Of Hope』(11)と続く。この Disc3 だが、その前とは音楽の印象がだいぶちがう。別のミュージシャンの曲だと云ってもいいくらいだ。リリースされた時の印象は、どうもよくわからないというようなものだったが、今回ベスト盤として聴いてみると、謎だった部分が肯定的に受け止められた。達郎は、何か新しいものを得たようである。それはもしかしたら、Disc2 の「蒼氓」あたりが、break through になったのかも知れない。「ドリーミング・ガール」など好きだし、「ずっと一緒さ」には(ヒミツだが)思わず泣けてしまった。そして、ノスタルジックな「街物語」。悪くない。

 しかし、やはり達郎は『CIRCUS TOWN』(76)『SPACY』(77)『GO AHEAD!』(78)『MOONGLOW』(79)までが究極的で、これ以降は、その天才は失われてしまったのだと評価せざるを得ない。かの名盤『RIDE ON TIME』(80)『FOR YOU』(82)も例外ではない*1。これらですら既に、「非対称的精神」の産物なのであり、偉大ではあるが、天才の輝きではないのだ。それは、最後にDisc1の「DOWN TOWN」を聴いてみるとはっきりとする。なんという瑞々しい音楽だろう。これは、クラシック音楽の天才たちと比べても、聴き劣りするものではない。
 これが、ずっと達郎を聴き続きてきた一ファンの、とりあえずの結論である。達郎、ずっとありがとう。これからも楽しみにしています。


*1:マウリツィオ・ポリーニのピアノも、偶然であろうが、ほぼ七〇年代と八〇年代の間に画然と断絶がある。そこから、ポリーニのピアノは次第に解体していく。そして、さらにドビュッシーの「十二の練習曲」(92)のディスクとベートーヴェンのピアノ・ソナタ(第十一番、第十二番、「ワルトシュタイン」)のアルバム(97)の間の断絶は決定的で、その後のポリーニは、悪くない演奏ももちろんあるのだが、その演奏はゆっくり崩壊していくのを止められない。

ショパンの二十四の前奏曲など、ポリーニの新譜

ショパン:24の前奏曲

ショパン:24の前奏曲

ポリーニの新譜である。前にも書いたと思うが、ポリーニのピアニズムがどんなにダメになっても、自分はポリーニの新譜が出るたび買い続けなければならない。自分にとって、ポリーニはそういうピアニストだ。
 スタジオ録音であるが、「ショパン・リサイタル」と云った趣のアルバムだ。収録された曲はすべてショパンで、二十四の前奏曲ノクターンop.27の二曲、マズルカop.30の四曲、それにスケルツォ第二番である。マズルカ以外は、ポリーニはすべて既に録音していて、再録音になっている。
 さて、予想されるとおり、ポリーニのピアノは成熟の方に向かっている。しかし、前に出たブラームスの協奏曲の録音を聴いたときにも薄々感じられたが、ポリーニはまた、何か新しいことを始めてしまったかのようにも聞こえる。そしてそれは、若い頃は完璧主義者と云われたくらいなのに、まだ「未熟」だとも云えるものだ。二十四の前奏曲は、そうしたところが顕著だと感じる。若い頃、七〇年代の録音の方が、完璧かもしれない。だから、今回の演奏はと云えば、まだよくわからないところが残る。いずれにせよ、この年齢になってのポリーニの挑戦を感じずにはいられない。
 よかったのはノクターンマズルカだ。共に曲の深みが、今のポリーニにぴったりである。特に、ノクターンのop.27-2が名演だ。マズルカがこれだけいいと、ポリーニには全曲の録音も期待したくなってしまう(無理だろうが)。
 スケルツォ第二番は、悪くないし、完成度は高いが、旧録音の方が鮮烈だろう。

ポリーニ18歳の、ショパンのエチュード

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まだこの前ポリーニの最新録音(ブラームスのピアノ協奏曲第一番)が出たと思ったら、今度はポリーニ18歳のときの、ショパンエチュードの録音(1960年)が発売されてしまった! 興味津々。初出であり、アマゾンでは見つからなかったので、非正規盤なのだろうか。しかしこれは、EMIのスタジオ録音である。ショパン・コンクールで最年少優勝した後の、クレツキとのショパン、ピアノ協奏曲第一番の録音は貴重なものだが、それと同時期に録音されながら、本人の発売許可が出なかったものらしい。周知の如く、ポリーニショパン・コンクールの後、十年間ほど沈黙し、1971年の「ペトルーシュカからの三楽章」などのドイツ・グラモフォン(DG)での録音でセンセーショナルな復帰を果たすわけだが、DGでのショパンエチュードの録音(1972年)もきわめて有名であり、個人的にも思い入れの深いディスクになっている。これとの比較は避けられない。
 まず第一印象を云っておけば、何とも瑞々しい演奏だということである。技術的には既に完璧であるが、DG盤のような冷たいまでに、あらゆる意味で完璧な演奏を目指したものではない。意外とテンポを動かしている。エモーショナルなゆらぎが自然に出ている。だから、とりわけop.25がいい。いわゆる「エオリアン・ハープ」など、絶品だ。全体的に、DG盤よりも少しだけテンポがゆるやかな感じだ。しかし、聴いていて疲れてしまうほどの強度は既に存在し、また高音のきらめきは何ともうつくしい。
 ショパンエチュードは、こんな機会がなければ、全曲一気に聴き通すようなことはなかなかないが、正直感動した。DG盤と比べると、どちらか一方と云われればDG盤を薦めるが、このEMI録音もまたすばらしいものである。先日の、腑抜けになったブラームスの最新録音とは、比較にならない。これを聞いてしまうと、ポリーニの六十年代、七十年代のライブ音源が出てこないかと思う。いま聞いても衝撃的なのだ。

ポリーニ三度目の、ブラームスのピアノ協奏曲第一番

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番

ポリーニが、ティーレマンの指揮でブラームスのピアノ協奏曲第一番を録音した。自分にとってポリーニはかつてアイドルであったし、これからたとえそのピアニズムがボロボロになっても、それでも新譜が出れば買い続けるであろう、唯一のピアニストである。であるからには、聴かないではいられない。この曲はポリーニの三度目の録音であり、これだけ再録音している曲は他にない。この曲に対する彼の思い入れが感じられる。
 まず、全体の包括的な印象から云おう。端的に言って、考えられるもっとも完璧な演奏だと云っていいだろう。それはただ楽譜どおりに弾いているとか、そんなことではない。テクニック、解釈、さらには曲が要求するパトスの表現に至るまでが、完璧である。だから、とりわけこの曲を初めて聴くとかいった人には、安心して薦められるとも云えるだろうか。ライブ録音でこれほど完璧な演奏がなされるとは、やはりポリーニであり、またわざわざこの演奏をCD化したのも、本人が納得し、自信をもっていることの表れだろう。
 で、ここからがつぶやきである。この演奏はほぼ予想通りだった。そして、予想を裏切られる点はほとんどなかった。自分勝手な話だが、驚きも、感動も、これもほとんどなかった。いや、唯一新鮮だったのはその音で、引き締まった、じつにいいピアノの音だと思う。
 個人的には、この曲の一番思い入れのある演奏は、ポリーニ第一回目の、ベームとの録音である。この演奏を褒める文章に出会ったことがないのだが、若き完璧主義者と云われつつ、すさまじく過剰な演奏で、こちらの心をゆさぶって已まなかった。最近は聴いていないのでどうだかと思うのだが、今回の演奏を聴いていて、このかつての演奏が思い出されてならなかった。このブラームスのピアノ協奏曲第一番は、ピアノ付き交響曲と呼ばれるくらい、ピアノ協奏曲にしては変った曲だが、若きポリーニの演奏は、破綻に近いほどの、ピアノの突出した演奏ではあった。結局自分は、完璧さよりも、その過剰に深く魅入られていたのだと思う。
 というわけで、この演奏は、一般に薦められることは確信しつつ、自分の愛聴盤にはならないかも知れない。なお、ティーレマンの指揮には何の不満もないが、取り立てて魅力も感じなかった。
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番、ハイドンの主題による変奏曲

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番、ハイドンの主題による変奏曲

ポピュラー音楽の理論化に大統一理論は可能か

今ちょっと纏まった文章を書くような状態ではないのですが、本書にはあまりにも興奮させられたので、簡単に記しておきます。自分が聴く音楽は、主にクラシック音楽、それもオーソドックスなものが多く、ポピュラー音楽はあまり聴かないのですが、本書はポピュラー音楽(特にジャズ)を主に和声・調性の観点から、徹底的に構造化するメソッド(バークリー・メソッド)について述べられています。いや、それを徹底化することで、現代の商業音楽を解体することにすら繋がっていきそうな試みです。確かにこのバークリー・メソッドというやつ、自在に扱えるようになるには相当の年月と努力が必要なわけですが、いったんマスターしてしまえば、パズルを解くように音楽を書くというようなことが可能になるというのです。本書はそのメソッドを学ぶためのものではありませんが、簡略化されて説明されているものだけでも、その精緻さには驚嘆するしかありません。それは、メロディ+アレンジというタイプの曲に対してならば、極限的に完成させられていると云ってよいでしょう。そして、メソッド化されたために、音楽語法は複雑さの果てへ追いつめられていくということが起こり、そこからの逃走ということにもなってしまうわけです。モダニズムの極致。ポピュラー音楽でこのようなことが起きているとは、まったく無知でもあったし、面白いとしかいいようがない。
 本書はおそらく菊地成孔が主導していると云えるのでしょうが(実際に文章化したのは大谷)、この人の名はつい最近になるまで知りませんでした。こういうパラノイアックな離れ業が現在でも可能なのだということは、まったく驚くべきです。本書の元になった講義が行われているとき、菊池は精神的に不安定な状態にあったらしいのですが、こういう頭の使い方は、現代ではかなり危険だと云えるかも知れません。それだからこそ、これは貴重な仕事だと言うべきです。さて、本書を読んで自分がポピュラー音楽を聴くようになるかは微妙ですが、久しぶりにいわゆる「現代音楽」が聴きたくなってきました。これは突飛なことではありません。クラシックの「現代音楽」も、真に現代を生きていれば、問題意識が重ならないことはないでしょう。さても気になるのは、ポピュラー音楽は果して「無調化」するのだろうか、ということです。バークリー・メソッドは、あくまでも調性の上の理論だからです。本書を読んでいると、先端では既にそういうことにも足を突っ込んでいるようです。しかし、商業音楽までがそうなるのかと云えば、それはなかなかむずかしいのではないかとも思われます。

山下達郎の新譜『Ray Of Hope』

Ray Of Hope (初回限定盤)

Ray Of Hope (初回限定盤)

『SONORITE』から六年ぶりの、山下達郎のニューアルバムである。小学生の頃から、三十年にわたって達郎を聴いてきた者としては、どうしても買わざるを得ないのだ。『コージー』以降、伝統芸能化が進んでいる達郎の音楽だが、今回のアルバムも、音楽的にさほど目新しいものはない。相変らず見事なアレンジだし、相変らずカッコいいとは云える。まあ、自分にとっての達郎は、デビュー盤『CIRCUS TOWN』から、『SPACY』『GO AHEAD!』『MOONGLOW』の四枚のアルバムで殆ど尽きているのだが、いまの無害になった達郎も嫌いというわけではない。しかし、4曲目の「街物語」の冒頭が、まったくかつての達郎らしい、なつかしいリズムを刻みだしたときは、思わず反応してしまった。かつての「paper doll」や「rainy walk」などと同じリズムではないか! マイナーコード(短調)だけれど。これは昔の味なのだが、やっぱりコレだという感じだった。
 なんか、全体的にどうもメロディが catchy でない。思わず口ずさんで、知らないうちにリズムを取っているという曲が、少なくなったのは確かだ。いや、自分の感性が古くなったのかな。若い人は、本作をどう聴くのだろう。達郎の曲ではないのだが、Piaf の La vie en rose をアカペラでカヴァーしているのなど、超カッコいいと思うのだが。
 なお、初回限定盤にはライブ音源のサービス盤が付いているのだが、じつはこれがすばらしい。「素敵な午後は」が始まった途端、一気に惹きこまれた。達郎をよく聴いた学生時代のことが、ゆくりなくもいろいろ思い出されてしまった。
※追記 聴くたびに完成度の高さに圧倒される。ここまで完成されていれば、それだけでもういいという感じだ。ちょっと達郎でも、近年にない達成かも知れない。でも、「街物語」のリズムには、本当に昔の達郎を思い出してしまう。痺れる。(8/20記)