グレン・グールドのザルツブルク・リサイタル盤

グールド・ザルツブルク・リサイタル1959

グールド・ザルツブルク・リサイタル1959

グレン・グールドの、1959年ザルツブルク・リサイタルのライブ録音を聴く(正規盤)。曲目は、スウェーリンク「ファンタジア」、シェーンベルクのop.25、モーツァルトピアノソナタ第10番K.330、バッハのゴルトベルク変奏曲
 まず、スウェーリンクの古雅な響きがいい。さほどポピュラーな曲ではないが、大バッハ以前としては、充実した曲だといえよう。対位法的な処理もグールドならでは。
 このリサイタルの白眉は、シェーンベルクモーツァルトだ。シェーンベルクは、驚くほど表現主義的で熱い演奏。こんなロマンティックなシェーンベルクは聞いたことがない。op.25は、シェーンベルクピアノ曲の中では自分もいちばん好きな曲だが、この曲でエモーショナルな感動を覚えるとは、思ってもみなかった。必聴。
 (たぶん)休憩をはさんで最初のモーツァルトだが、これがまたすばらしい。やたらと速いスタジオ録音盤とはまったく違って、グールドが素直にモーツァルトを弾いている! 第一楽章は素朴で愛らしい演奏。第二楽章は、何というか、クララ・ハスキルモーツァルトのようだ。第三楽章は鳥肌の立つような名演で、ハスキルがキレをよくしたような、とでもいうか。ちょっと形容しようがない。
 ゴルトベルク変奏曲はさすがにデビュー盤とさほどの違いはないが、ライブでも一瞬のたるみもなく、卓越した造形力とリリシズムを発揮している。これもデビュー盤よりも自然な演奏だといえよう。もちろん名演といってよい。(なお、このバッハの演奏だけは先に正規盤で発売されている。)

青柳いづみこ『グレン・グールド』

グレン・グールド―未来のピアニスト

グレン・グールド―未来のピアニスト

読み始めてすぐに、これは傑作だろうというのはわかった。ものすごく面白い。しかし、戸惑ってしまう部分もあった。著者は優れたピアニストでもあるから、楽曲分析とグールドの解釈の細部において、微に入り細にわたって判断・解説してあるが、それが、素人たる自分の感覚とだいぶ違うのである。それに、グールドの音源について、使用されているのが正規盤だけでなく、むしろ非正規のライブ録音があまりに多い。非正規盤は、自分も誘惑されながら敢て購入してこなかったものである。もちろん全体像としてのグールドを描くなら、レコード・デヴュー以前の録音や非正規盤を使うのは当然でもあるだろうが。そして当然というだけでなく、ライブのグールドもまた、というよりも本書ではほとんどそれこそ、グールドの最重要部分である(いや、著者はそこまでは言っていないか)という論旨では、どう云ったものかわからなくなってしまった。とにかく著者は、グールドはクールなモダニストというのからは程遠い、そして一般に思われているそのグールド像は、グールド自身によって意図的に形成されたものである、という立場である。
 と、いろいろ思ったわけだが、あとがきで、「本書は、二〇〇九年春のある午後、音楽評論家の吉田秀和氏との語らいから生まれた」云々以下を読んで、いい加減な話だが、すべて納得してしまった。自分の思うところでは、著者は吉田氏以来最高の、音楽評論家でもある。そこでこのような繋がりがあったというだけで、ちょっと感動してしまった。それだから、このような重量級の著作になったのだろうかと、思われたりもする。
 それにしても、DVD盤を持っていないのはそのうち買うとして、非正規盤はどうするか。多分買うことになるのかな。

これは細野晴臣の新境地だろうか?

HoSoNoVa

HoSoNoVa

最近はポピュラー音楽はほとんど聴かないのだが、細野晴臣の新作が出てみると、購入したい気持ちが抑えられなかった。タイトルの「HoSoNoVa」というのは、「ボサノヴァ」であり、「ホソノ場」ということでもある。12曲中5曲がカヴァー曲であり、オリジナルは7曲だが、何の文句があろう。全体的に、スローでアコースティックな雰囲気に満ち満ちている。たぶん、シンセサイザーはほとんど使っていないのではないか。このアルバムは、ラテン音楽に対するオマージュでもあるだろうし、またライナーノートからもわかるように、新たな挑戦でもあるようだ。最近の流行りの音楽も悪くないのだろうが、この大人のための音楽を聴いていると、流行りの音楽のどうしようもない幼稚さに、改めて辟易している自分を発見する。
 それにしても、3曲目の「悲しみのラッキースター」の透明な悲しみは何だろう。聴いていて思わず、あまりの美しさに涙腺がゆるくなってしまったほど。たぶんさらりと書かれた曲なのだと思うが、すばらしいものだ。結局自分は、細野晴臣から抜けられないのだろうなと思う。

若きリヒテルのCD

Sensitive Eccentric

Sensitive Eccentric

旧メロディア音源で、スヴャトスラフ・リヒテルの1950年から1958年までの期間の録音をCD10枚に纒めた廉価盤である。年齢でいうと、リヒテル35歳から43歳までの間ということになり、三十代のリヒテルが聴けるというので興味津々だった。まだ一部しか聴いていないのであるが、音は悪いけれど、これいいですよ。まったく若き天才という感じで、バッハのクラヴィア協奏曲BWV1052とか、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番(第二楽章が名演)など、颯爽として恰好いいという他ない。指がまわりすぎるので、押さえて弾こうという風に聞こえるくらい、楽々と弾いている。
 シューベルトソナタD.958やシューマンのフモレスケは、既に大家の演奏。個人的にフモレスケは気に入った録音をもっていなかったので、これは有り難かった。
 しかし、何を措いてもすばらしいのは、ロシア物だ。ラフマニノフの六つの前奏曲のスケールの大きさ(op.23-2など、すごすぎて唖然)。そして特筆すべきはスクリャービンの十二の練習曲。甘くてせつなすぎる。ホロヴィッツのもとてもいいが、同じ曲を比べると、このリヒテルの演奏は、若さが浸透しているとでもいうべきか。何と恰好いいスクリャービン! ちなみにラフマニノフスクリャービンも、奇跡的にステレオ録音です。

マレイ・ペライアの弾くブラームス

ブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ

ブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ

ブラームスを弾いたペライアの新譜は、素晴しいものだった。
 冒頭のヘンデル・ヴァリエーションズから聴かせる。この曲はそう好きでもなかったのだが、若々しくていい曲ではないか。ペライアは強烈な打鍵でインパクトを与えることもできるし、纏綿とした歌をうたうこともできる。構築力もある。(これらのことはすべての演奏について云える。)大好きなラプソディ第一番も、メリハリのついた演奏だ。旧録音よりもスケールが大きくなっている。ちょっとグールド晩年の録音が思い出されるくらいだ。
 ブラームス最晩年の小曲集も、無骨だが、じっくりと聴かせる。op.118-8 Romance の中間部など、羽毛のような軽いタッチで聴かせることもできるだろうに、ごつごつと弾いて、これがまたいいのだ。それにしても、このペライアの演奏を聴いていると、op.118もop.119も、中にはじつに深い感情をたたえた曲が少なからずあることに気づかされる。複雑な陰影をもって、ロマンティックではあるのだが、何らかの諦念が込められたかのような――これは若い頃の曲にはない。
 このディスクはたぶん此の後も聴くだろう。楽興の時だった。

フィッシャー=ディースカウの『ワーグナーとニーチェ』

ワーグナーとニーチェ (ちくま学芸文庫)

ワーグナーとニーチェ (ちくま学芸文庫)

この本を書店で最初に見たとき、著者はあの著名なバリトン歌手なのかと疑ったが、やはりそうだった。叙述の素人の手すさびなどではない、堂々たる書物である。ワーグナーニーチェの友人(と敢て云おう)関係が、双方に愛情を以て、公平に書かれたように思われる。自分はオペラや楽劇に偏見をもっているので、ワーグナーについては何もいう資格はないが、著者が一流以上の音楽家であることは、叙述にとって何と言っても強みであろう。また、これは特筆すべきかと思うが、著者はニーチェの音楽そのものについても、かなり高く評価しているのだ。ニーチェはピアノを良くし、いくらかの音楽作品を残していることは周知であり、作品集のCDも出ている筈だが、自分の読んだものでは、ニーチェの音楽作品について、まともな評価をされたものは皆無だった。しかし、ニーチェワーグナーの楽劇のピアノ用スコアを見ただけで、曲の判断ができるだけの音楽的素養があったのであり、少なくともその音楽的感性は非凡なものだったと、自分も著者と同じく云いたいのである。実際、ワーグナーが広く知られているとはとてもいえないあの段階で、ワーグナーの音楽を見出し、またワーグナーの信頼は非常に篤かったのだから、当然といいたいほどだ。
 著者の筆はもちろん二人の決裂についても及んでいるが、後年のニーチェの著作の印象とは異なり、ニーチェワーグナーに対し、とても礼儀正しく誠実だったように描かれている。実際そうだったのだろう。またワーグナーが一方的に責められるべきでもないようだ。両雄並び立たず、とでもいうべきかも知れない。ニーチェは最後までワーグナーに対して感謝の気持ちを忘れることはなかった。
 しかし気になるのは、ワーグナーの妻コジマに対するニーチェの気持ちである。ニーチェ錯乱後の、有名なコジマへの手紙の文句は何なのだろう。アリアドネ… 著者はそれに対しては解決を保留している。

ルーズ・ランゴーの「天球の音楽」

Music of Spheres / The Time of the End (Hybr)

Music of Spheres / The Time of the End (Hybr)

ルーズ・ランゴーの「天球の音楽」その他を聴く。ランゴー Rued Langgaard (1893-1952)という作曲家は、今まで聴いたことがなかった。ウィキペディア参照)に拠ると、デンマークの特異な作曲家らしい。ライナーノートの英語解説には、スクリャービンらと比較してあって、「象徴主義的」だというのだが、どちらかといえばマーラーショスタコーヴィチのような、表現主義的音楽にも聞える。「天球の音楽」は、ちょっと系譜の分らないような、とても独創的な曲にはちがいなく、神秘的で美しい。後期ロマン派の極点のひとつで調性は失われていないが、はっきりとした旋律は少なく、奇抜なオーケストレーションなど、現代音楽風でもある。本CDは、ダウスゴーの音楽作りもよく、名盤といって差しつかえないと思う。