正確な「原子・原子核・原子力」の理解のために
- 作者: 山本義隆
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2015/03/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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本書の特徴が出ているのは、第六章「原子核について」と第七章「原爆と原発」であろう。ここは特に自分の知らないことが多かった。最終的な結論は、自分の読み取ったところでは、原子力発電は科学的・論理的整合性から見て、とても許容できる技術ではないということである。そのロジックは、自分の力では要約不可能なので、実際にお読み頂きたい。著者の経歴から政治的バイアスが掛かっているだろうと思う向きもあるかも知れないが、ならば本書を論理的に反駁して頂きたい。しかし、(特に日本の)政治は科学や論理的整合性というものとは無縁なので、これからも原発は使われていくのであろうか。よく「原発は国益になる」という人がいるが、僕はその命題が成立しないことを、今回の読書で確信した。その根拠として特に挙げておくと、原発燃料の連鎖核分裂反応は、原理的に止めることができないのである。本書には書いていないが、原発で一見核分裂反応の「制御」のように思われるのは、ただ炭素によって中性子を吸収しているだけで、核分裂の連鎖反応を止めているわけではない。まさしく「消せない火」なのだ*2。また、これは知らなかったが、原発からの排水は高温であるがゆえに沿岸漁業と排他的であり、さらに排水の中には、「基準値」は下回るように稀釈されてはいるが*3、れっきとした放射性物質が堂々と放出されているのである。そしてその「基準値」というものには、合理的な根拠がないのだ。
これ以上は詳述しない。著者は恐らくイデオロギー的な立場をもっておられるだろうが(そのことの何が問題だろう)、本書はイデオロギーで書かれているのではなく、著者はまず科学者として書いている。国益というものが仮に重要であるのなら、本書こそ国益のために書かれているとも断言できる*4。さても、無知というものが如何に恐ろしいか、日本人は原発事故で体験したはずなのに、このままではまたそのうち身を以て知ることになるだろう。
*1:というのは正確ではないかも知れない。量子力学の体系は解説されていないが、その果実は説明に取り入れられている。特に前期量子論。
*2:福島第一原発でなかなか核燃料を撤去できない理由も、そこにある。また、同じ原理的帰結として、原子力発電は火力発電などとちがい、常にフル稼働させるしかない。電気が余っても、原発の発電レヴェルを下げることはできないのである。それにしても、福島第一原発の「廃炉」など、技術的に見て実際に可能なのだろうか。炉心から溶け落ちた(メルトダウンした)核燃料は、反応を止めるわけではない。「廃炉」が技術的に可能というならば、その知識は公開され報道されるべきなのではないか。
*3:「基準値」とは割合の問題であり、絶対量はまったく無視されている。
*4:しかし、「国益」とはいったい何なのだろうか。第二次世界大戦で日本人が一千万人以上のアジア人を殺した(遠藤三郎)のも「国益」のためだったし、アメリカが日本に原爆を落としたのも「国益」のためであった。