丘の上のバカ

メディアで見た文章で源一郎さんについて書かれたものは、これまで殆どが悪口や非難、揶揄のそれしかなかったような気がする。なぜ多数のかしこい人たちは、源一郎さんをバカにするのか。本書の題名の「バカ」は単に源一郎さんのことだけではないが、確実に源一郎さんの自己評価でもある。かしこい人たちは、そういう物言いも「戦略」だと考えるのかも知れない。とそんなことに反応するのは、自分もいまに至って自分をつくづくバカだと思うようになったからだ。世の中は本当にかしこい人たちに溢れている。バカはこれまた確実に少数派である。たぶんかしこい人たちは、バカが喋るのが気にくわないのだろう。自分も沈黙したい気がする。といっても、この過疎ブログなど沈黙に等しいわけだが。
 ポストモダン哲学の最大の功績のひとつは、「自分の言葉だと思っているものはじつは、その殆どがじつは他人の言葉にすぎない」という事実を明らかにしたことであると思う。ってこれは僕の理解にすぎないから、テキトーです。源一郎さんがすごいし、その言葉が自分の琴線に触れる理由は、その事実を源一郎さんがわきまえているからだとも思える。とにかく自分なりに自分で考えてみることは、バカにもかしこい人にもまず不可能なくらいむずかしいことである。本書での源一郎さんの意見は確かに自分には納得・共感されるものがとても多いのだが、結局はそれが「正しい」からというより、自分の手持ちの材料で考え抜こうとするその姿勢にいちばん共感するのだと思う。それは必然的にまちがうのだが、我々バカはそうして考えるしかないのだ。本書は政治という難物を相手に、源一郎さんが徒手空拳で立ち向かったバカの記録なのだと思う。