空爆の歴史

空爆の歴史―終わらない大量虐殺 (岩波新書)

空爆の歴史―終わらない大量虐殺 (岩波新書)

飛行機が初めて戦争に用いられたのは第一次世界大戦においてだったが、空爆が本格的になされたのは第二次世界大戦を以て嚆矢とする。その当初から、民間人を含む無差別爆撃への正当化として、爆撃の恐怖による気力の喪失が唱えられて(ドゥーエ・テーゼ)、今に至っているというのだが、実際は爆撃による戦意の喪失よりも、却って敵愾心や戦意の高揚すら見られるというのが、どうやら本当のところらしい。というのに、今でさえアメリカは、このドゥーエ・テーゼを持ち出してきて、無差別爆撃を正当化している。ちょうど、うまい言い訳になるからであろう。
 確かに日本は大戦中、中国の奥地に向けて無差別爆撃をかなり行っている。弁解の余地はない。また、イギリスやフランス、イタリア、ドイツその他もそうだ。しかし、空爆の歴史を考えると、それはほとんど、アメリカの空爆の歴史と言っていえないことはないくらいだ。それは主なものでさえ、第二次大戦のドイツ、日本に対するものから、朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争などが挙げられる。その中には原爆、また、ナパーム弾やクラスター爆弾など、悪質なものが含まれる。
 そもそも戦争に等級をつけるというのはおかしいと言われるかも知れないが、高高度から自分の手を汚さずに民間人を殺せる空爆という戦争手段は、どこか卑怯者の戦争の仕方という気がしないでもない。まさにアメリカにぴったりの戦争手段、ともいえようか。自国の損害は最小限、敵の損害は最大限、なにが悪いか、というわけだ。また、上の空爆対象の列挙からもわかるように、ドイツ人に対して以外は、すべて非白人種が対象になっている。これは果して偶然だろうか?