分子進化のほぼ中立説

分子進化のほぼ中立説―偶然と淘汰の進化モデル (ブルーバックス)

分子進化のほぼ中立説―偶然と淘汰の進化モデル (ブルーバックス)

集団遺伝学の分野において、六十年代に、一つの有力で魅力的な学説が提唱された。分子進化においては、自然淘汰に関係のない中立な突然変異が、遺伝的浮動によって集団に広がる、ということを数学的に説明した、木村資生による「分子進化の中立説」である。これは在来の進化説では説明できなかった難問(DNAの配列の違いは、生物種の分岐以来の時間に比例するという、いわゆる「分子時計」説その他)を容易に説明するなど、ここに何らかの真実が含まれていることを認める専門家が次第に増えていった。(ちなみに個人的なことを言えば、学生の時に生物学をやっている友人からこれを教えられ、魅力的な仮説だと思ったことを覚えている。)
 著者はその木村の同僚で、「分子進化の中立説」では説明しきれなかった問題について、突然変異を淘汰から完全に切り離してしまうのではなく、これがごく弱い淘汰を受けるものとすると、「中立説」の難問が解消されることに気づき、これを「分子進化のほぼ中立説」とした。本書によればこれはアド・ホックな解決ではなさそうで、それどころか「中立説」とはかなり異なった部分も出てくるようである。とても興味深い仮説なのであるが、本書についてだけれども、入門書としてはちょっと難解すぎるのではないか。正直言って自分には、この仮説の成否を判断できるほど、内容をはっきりと理解できたとはいえない。例えばドリフトと淘汰の関係や、種内多型と種間分化の違いの本質など、もっと判りやすいとよかった。とはいっても、ロバストネスやエピジェネティクス(共に遺伝子型と表現型の齟齬の問題)についてなどは、新しい話題で面白い。
 まあ、集団遺伝学は、生物学で最も数学化の進んだ分野であるが、進化というのはどうしても偶然が左右するところなので、数学的に証明して終わり、というわけにはいかないのが紛糾する原因である。その意味では、何となく経済学に似ているといえなくもない。
 古い本ではあるが、「中立説」の提唱者である木村の著書『生物進化を考える』が、集団遺伝学の基礎知識を与えてくれるので、付言しておく。
生物進化を考える (岩波新書)

生物進化を考える (岩波新書)