渡辺京二による網野善彦批判その他

名著。第六章は網野善彦に対する根底的な痛撃であるが、そればかりではない。最近の中世観は「明るい中世」というのが通り相場だが、本書を読んでいると、中世の百姓は生きていくために武装し、何かあるとすぐに武力沙汰になるという、血腥い中世がこれでもかと現れてくる。百姓たちも恐らくうんざりしながらも、生きるためにたやすく人を殺したのだった。彼らを率いていたリーダーがまた、戦国時代に侍となっていったのであり、基本的に、村同士の戦いが大名同士の戦いにまで、構造的に直結していたのである。秀吉による「刀狩り」は、そのような無秩序な暴力を止めさせるために行われたのであり、それは農民たちも歓迎すべきことだったというのだ。(「徳川の平和(パックス・トクガワーナ)」は、その延長線上にあるとして、著者はこれを評価する。)農民たちにとっては、生きるためには誰かに服従するというのはむしろ歓迎すべきことだったのであり、それを「自由の放棄」だなどとは、間違っても考えることではなかった。そこらあたりが、左翼的なイデオロギーをもつ歴史家らの勘違いしてきた点であり、網野善彦などは、その典型だとして著者は弾劾するのである。