ローマ帝国の「愚帝」

ローマ帝国愚帝列伝 (講談社選書メチエ)

ローマ帝国愚帝列伝 (講談社選書メチエ)

ローマの愚帝と云ってもいろいろだが、よく挙げられる軍人皇帝時代は措いて、それ以前の中から六人の「愚帝」をピック・アップしてある。すなわち、カリグラ、エラガバルス、ネロ、コンモドゥスドミティアヌス、カラカラ。意外なのは、哲人皇マルクス・アウレリウスの息子であるコンモドゥス帝で、父親のよいところは受け継がなかったようだ。それにしても、本書を読んでいると、若くして皇帝なぞになったりすると、多くが権力に溺れてしまうもののようで、それは現代でも、何事かを示唆しているようでもある。
 それから、愚帝を数えれば枚挙に暇のないローマだが、それでも帝国が維持されていたのは、ローマ帝国が極端に「小さい政府」であったからである。官僚は驚くべきことに、たった三百人程度だったのであり、属州などは、わずか数名の官僚で統治されていたというのだ。結局、中央は地方から税が入ってくればよかったのであり、それも徹底的に「アウトソーシング」されていたのだ。だから、公共事業にあたるものは、地方の名望家が、自腹を切ってやっていたのであり、また、そのメリットもあった。それはすなわち、名声である。名声を得て、出世の階段を登っていったのだった。
 まあしかし、本書でも何度も指摘されているが、同時代の資料は、単独では鵜呑みに出来ないところがたくさんあるということは、当然である。どうしても後の時代が前の時代を記述するということになるので、その時の政治事情や党派によって、記述は偏向してくるからだ。その意味では、ドミティアヌス帝などは、単純に「愚帝」とは、呼べないのかもしれない。その逆に、「賢帝」といわれる皇帝が、必ずしもそうでないということも、あったようである。歴史というものは、すべてそういうことなのだろうが。日本でも、例えば足利尊氏織田信長をどう評価するかは、なかなか難問なのではないか。