量子力学における粒子の自由意志

量子力学の反常識と素粒子の自由意志 (岩波科学ライブラリー)

量子力学の反常識と素粒子の自由意志 (岩波科学ライブラリー)

題名に惹かれて購入した。量子力学は数式を追っていると特にさほどの疑問をもたずに進んでいってしまうものだが、じっくり形而上学的に考えると却ってわけがわからない。それは当り前なので、かの天才物理学者リチャード・ファインマンも「自分は量子力学がわからない」と言っているくらいだから。
 そしてよく知られていることだが、かのアインシュタイン量子力学の世界観に反発して、量子力学に大いに噛み付いたのだった。その中でももっとも有名なのが「EPR論文」であり、本書はここから始まる。この論文は、量子力学を認めると物理現象の「局所性」が失われることを突いた思考実験であり、純粋に思弁であって、当初はあまり注目されなかったものだった。しかし、それを実験で検証することを可能にする、有名な「ベルの不等式」が提出されるや、実験が行われ、確かに量子力学は正しいことがわかり、アインシュタインの提出したパラドックスは破られた。驚くべきことに、物理現象の「局所性」は否定されたのである。すなわち、宇宙の彼方の現象と、我々の現象のあいだに、同時的な(光速を超える速さでの)相関を作り出すことが、原理的に可能になったのだ。
 ここまでは、最近ではかなり良く知られている事実であろう。自分に目新しかったのは、その次の「コッヘン‐スペッカーの定理」と「自由意志定理」である。共に自分にはむずかしかった。「コッヘン‐スペッカーの定理」とは、物理的な測定に、非局所的な「状況依存性」があることを数学的に証明したものである。それはつまり、こう単純化してはいけないのかも知れないが、単独でなされる測定などありえず、測定がどこかの測定とリンクしてしまっている可能性を排除できないということである。これは、単独の測定ということに、深刻な原理的不可能性を突きつけてしまう、驚くべき定理である。
 そして、「自由意志定理」である。この場合の「自由意志」とは、現象が、その発現に先立ついかなる出来事によっても決定されない、という意味である。もともと量子力学における現象は「確率的」であり、その意味ではそれは既に満たされているのであるが、ここではそういうことではなく、その「非決定性」は、量子力学の枠組みを超えるより広い基礎理論の点からも支持される、ということらしい。粒子があたかも自由意志をもっている(観測される粒子の数値は、先立つ事象に影響を受けない)かのようにふるまう、ということである。そして、「自由意志」と「局所性」と「決定論」は、トリレンマの関係にあることが宣言される。
 しかし、我々の「自由意志」とは奇妙なものである。我々は自由意志をもつと自ら思わざるを得ないが、それは「過去に影響を受けない」という意味なのだろうか。もしそうだとすれば、「自由意志」に則った人間は、その場の思いつきで行動せざるを得ず、自己の一貫性というものは保証されない。であるから、我々の「自由意志」とは、そういう意味ではない。それは、自己が「他者」の意志の支配下にない、ということなのかも知れない。いずれにせよ、これは昔からの難問である。量子力学においても、既にフォン・ノイマンの有名な考察がある。自分にはとても手は出せない問題だけれども、物理学が大変なところまで進んでいることが、本書からもわかるのである。