ポピュラー音楽の理論化に大統一理論は可能か

今ちょっと纏まった文章を書くような状態ではないのですが、本書にはあまりにも興奮させられたので、簡単に記しておきます。自分が聴く音楽は、主にクラシック音楽、それもオーソドックスなものが多く、ポピュラー音楽はあまり聴かないのですが、本書はポピュラー音楽(特にジャズ)を主に和声・調性の観点から、徹底的に構造化するメソッド(バークリー・メソッド)について述べられています。いや、それを徹底化することで、現代の商業音楽を解体することにすら繋がっていきそうな試みです。確かにこのバークリー・メソッドというやつ、自在に扱えるようになるには相当の年月と努力が必要なわけですが、いったんマスターしてしまえば、パズルを解くように音楽を書くというようなことが可能になるというのです。本書はそのメソッドを学ぶためのものではありませんが、簡略化されて説明されているものだけでも、その精緻さには驚嘆するしかありません。それは、メロディ+アレンジというタイプの曲に対してならば、極限的に完成させられていると云ってよいでしょう。そして、メソッド化されたために、音楽語法は複雑さの果てへ追いつめられていくということが起こり、そこからの逃走ということにもなってしまうわけです。モダニズムの極致。ポピュラー音楽でこのようなことが起きているとは、まったく無知でもあったし、面白いとしかいいようがない。
 本書はおそらく菊地成孔が主導していると云えるのでしょうが(実際に文章化したのは大谷)、この人の名はつい最近になるまで知りませんでした。こういうパラノイアックな離れ業が現在でも可能なのだということは、まったく驚くべきです。本書の元になった講義が行われているとき、菊池は精神的に不安定な状態にあったらしいのですが、こういう頭の使い方は、現代ではかなり危険だと云えるかも知れません。それだからこそ、これは貴重な仕事だと言うべきです。さて、本書を読んで自分がポピュラー音楽を聴くようになるかは微妙ですが、久しぶりにいわゆる「現代音楽」が聴きたくなってきました。これは突飛なことではありません。クラシックの「現代音楽」も、真に現代を生きていれば、問題意識が重ならないことはないでしょう。さても気になるのは、ポピュラー音楽は果して「無調化」するのだろうか、ということです。バークリー・メソッドは、あくまでも調性の上の理論だからです。本書を読んでいると、先端では既にそういうことにも足を突っ込んでいるようです。しかし、商業音楽までがそうなるのかと云えば、それはなかなかむずかしいのではないかとも思われます。