食卓に表れる日本人の変容

農業、漁業、林業、そして日本の食卓について、養老先生と、先生が選んだ四人のエキスパートらが対談している本である。よく知られているとおり、日本の第一次産業は問題だらけだが、正直言って、最近は相当優秀な人たちが問題に取り組んでいるという印象を持っている。本書でもその感は深まった。熱心でフットワークの軽い人たちが、頑張っている。
 しかし、衝撃だったのは、冒頭の岩村暢子氏との対談である。岩村氏は、日本人の変容を調べるという目的もあって、日本の食卓、すなわち日本人が家庭でどのように食事をしているかということを、調査されてきた。例えば、家族が揃って食事をしているかとか、そういうことである。確かに、いまでも割と、日本人は家族で食事を取っているようだ。しかし、衝撃を受ける自分が無知なのだろうが、大きな皿から皆がおかずを取って食べるのではなく、食卓ではそれぞれが違ったものを食べていることが多いそうなのだ。そのため、どうしてもそれぞれの好む、出来合いのおかずを買ってくるのも増えることになる。その方が、皆好きなものが食べられて、いいではないかと云うのだ。または家族で外食。しかし最近では、外食も面倒で、食事は適当に済ます。
 また、震災で家族の絆は深まったという報道があるが、岩村氏の調査では否定的である。それだけ、こんな災害に遭っても、家族の変容は根が深いということらしい。いずれにせよ、岩村氏の著作も読んでみたくなった。
 それから、養老先生の目の付け所はすばらしいと思う。以前から先生はすぐれた思想家だと思っていたが、こちらの怠惰であまり著作を読んでこなかった。これからは少しずつ読んでいければなと思った。


※追記 これで日本の家族が崩壊しているとか、騒ぎ立てたいとは思わない。そんな言説は、掃いて捨てるほどあるから。しかし、これが家族の崩壊によるものなのか、それとも個人主義が浸透してきたせいなのか、ということには興味がある。自分の印象は、どちらも違う、というか、どうも我々は、他人の存在というものが、そもそもストレスフルになっているのではないか、というものだ。それが、家族にあってもそうなってきているのではないか。これは自分を省みても、そうだという気がしてならない。他人とコミュニケーションを取るというのが、億劫になっている。例えば、最近あるブログで読んだのだが、馴染みの店というのにあこがれるといいつつ、いざ顔を覚えてもらって店の人に話しかけられるようになったりすると、もうその店に行くのが億劫になる、というような。皆そういうことって、あるあるという感じじゃね?
 しかし、どうしてそんなことになったのか。これは難問だ。簡単には答えが出せそうにない。「草食系男子」なんてのも、これに関わってきそうである。性欲はあるけれど、わざわざ女の子とセックスするのは疲れるし面倒くさいとか。そんなのより、女の子と適当にしゃべっている方が好き? で、性欲はネットかロリコミックで発散ね。