「シュレーディンガーの猫」って本当の話だったのか、どうか

「シュレーディンガーの猫」のパラドックスが解けた! (ブルーバックス)

「シュレーディンガーの猫」のパラドックスが解けた! (ブルーバックス)

古澤明氏のブルーバックスも早や三冊目で、前の二著が冴えていたから、本書も期待した。だいたい、題名を見るだけで、物理ファンには刺激的ではないか。本当に「シュレーディンガーの猫」のパラドックスが解けたのか!というようなものである。いきなり最初に、「『現実』は[猫が]生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせであり、『シュレーディンガーの猫状態』となっているというのが筆者の立場である。…猫は自分自身の生死を決められず、人間が観測したときでないと、生きているか、死んでいるかがわからないというおかしな状態なのである」(p.19)とあるのだ。これは凄い、しかし、そうだとすると、仮に猫の代わりに人間が箱の中に入っていたら、その人間は箱の外にいる人間が観測しなければ、生きているか死んでいるのかわからないのか! では、箱の中をビデオ撮影していたら、それは観測したことになるのか… 謎は深まるばかりである。取り敢えず読んでみよう…
 と、いきなりセンセーショナルな話から始めたが、本書で個人的にいちばん面白かったのは、量子力学の基本についてだった。自分は確かに量子力学を多少かじった。シュレーディンガー方程式も、基本的なものくらいは解ける。のだが、やはり基本中の基本がよくわかっていないことが、本書を読んでよくわかった。本書は量子光学、すなわち光子による実験なのだが、ここではいわゆる「ハイゼンベルク描像」が頻出する。ここを読むと、自分は(たぶん多くの物理学徒も)基本的に、「シュレーディンガー描像」ばかりで量子力学を考えていたことがわかる。だいたい、恥ずかしい話だが、「波動関数」と「状態ベクトル」のちがいの理解があやふやだったのだ。後者の方がより一般的であり、状態ベクトルから波動関数を求めることは容易だし、シュレーディンガー描像とハイゼンベルク描像の同等性も、状態ベクトルを介してのみ云えることなのである。
 そして、かの「波と粒子の二重性」というのも、例えば光子一個では意味がない、ということも知らなかった。いや、二個でも意味はないのである。ここでは光子は、粒子の性質しか見せない。しかし、「状態の重ね合わせ」があって初めて、光子は波としての性質も見せるのだ。(しかし、光子「〇個」と「一個」の重ね合わせって… だいたい、光子〇個で電場の振幅が〇でないとは、これは凄い。これが「ゼロ点振動」の具体例だとは。)そこのところが、本書ではきわめてわかりやすく、説得的に描かれる。なにしろ、そこに本質的な実験が、今では量子光学で出来てしまうのだ。
 という部分は、本書では序論で、本論は、古典的な状態であるレーザー(=猫)と、量子的な光のスクイーズド状態を利用した実験で、件の「シュレーディンガーの猫」を説明する、というのだが、自分にはここまでの方が面白かったので困る。本当に猫とレーザーは同一視できるのだろうか。だいたい、量子力学的に正反対の状態が、そのまま猫の生き死にに対応すると云えるのだろうか。著者は、あるシュレーディンガーの猫状態は、スクイーズド状態から光子一個だけを引き去ることにより生成できる(p.125)と述べているが、そうなのかも知れないけれど、そこはもはや自分の理解できない話であるし、啓蒙書で説得的に書きうる話題でもない。
 しかし、いずれにせよ、きわめて興奮させられる話であるし、だいたいこれらは、著者らが世界の最先端で実際に行なっている実験が元になっているのだ。おしまいに量子コンピュータの話もあるし、トピックてんこ盛りでマジ凄いです。確かに高度な内容の本であり、むずかしいのではあるが、物理ファンにはもうお薦め。