樹を植え続ける「学問バカ」の生涯

著者は植物生態学者として、八十五歳の今になるまで、総計四〇〇〇万本にもなる樹を植え続けてきた。もちろん、樹を植えるというのは、今では別に珍しくない。しかし、ただ樹を植えるというだけではダメなのだ。例えば中国の緑化として、日本から木を植えに行くというのはポピュラーになっている。それに関して中国の関係者から、著者は「実は日本から自己満足で植樹ツアーに来て欲しくないのです」と云われ、驚いた。これは中国側の傲慢ではない。というのは、だいたい三年も経つと、植えた樹は姿を消し、つっかえ棒と看板しか残らないことになるからである。結局、運びやすいように根をカットするなど、日本の造園業者が適当にやっているだけで、科学的な知見に基づいて行われていなかったからだ。(そういうことを言うから、著者は造園業者や林野庁から「天敵」だと云われているそうである。)長持ちする人工林を作るには、植え方にも工夫を凝らし、さらに著者の言う「潜在自然植生」*1に向けて行われねばならない。そうすれば、大火や津波にも強い、長持ちする、自然に近い人工林を造ることができるのだ。実際それは、関東大震災*2阪神・淡路大震災の火災に耐え、東日本大震災津波に負けなかった。
 このような緑とのつきあい方は、我々の生にとっても実際重要なことである。それにしても、著者は自ら省みて学問ばかりの一生であり、家族にも迷惑をかけたようなことを書いているが、もうこうした生き方は今では許されないかも知れない。しかし、学問バカというこれもまた、見事な人生ではないだろうか。


※付記 本書は「熱い」本だ。著者の性格のせいか、必要以上に(?)「熱い」かも知れない。本人が云うように、著者はまるで「狂気」のような熱意で学問をやってきた。植林もそうで、ダメな植樹は「ニセモノ」呼ばわりまでしたそうである(「天敵」と呼ばれたのも、著者自身そのせいだと云っている)。しかし、その背後には学問の力があることを、決して見落としてはならない。著者は学問を曲げることが出来なかった。有効な植樹法の発明も、完全に学問的な論理と背景によってなされている。そこのところが非凡なのだ。例えば「潜在自然植生」は著者のドイツ人の師の作り出した概念であるが、著者はそれを完全に自家薬籠中の物にしたのである。その日本における対応物は「鎮守の森」であった。「鎮守の森」が五〇〇年、一〇〇〇年と生き続けてきた理由はそこにあり、著者がそれを学問的に発見したのである。

*1:「潜在自然植生」とは、人間の影響をすべて排除した場合、その土地の自然環境の総和が持っていると考えられる潜在能力によって決定される植生のこと。

*2:この当時にも優れた先達がいたことを、著者は敬意を込めて書いている。