佐藤文隆先生の本を読みて興奮したること

どれくらいの人が知っているか見当がつかないが、佐藤先生は日本を代表する物理学者のひとりであり、個人的なことを云えば、自分は大学で先生の講義を聴いたこともある。ノーベル賞を貰っていないじゃないかと云う人がいるかも知れないが、まあ当り前の話だけれども、ノーベル賞を貰っていなくても偉大な学者は存在するのである。
 話が脱線した。本書は学術書ではなく、まあ雑文集に近い。科学と社会の関係などを考察した前半は、面白いのだが、まさしくそこに出てくる「ワールドビュー」(世界観)を揺るがすような話題はあまりなく、物理学はもう最先端ではないのかと、ちょっとさみしい気分にもなった。宗教についての考察も、仕方がないこととは云えちょっと浅く、それもまたさみしかった。
 が、第三章の「量子力学にみる科学と社会思想」に入ると、俄然興奮させられてきた。物理学者の頭の良さと云っても色々だが、佐藤先生はまさしく「切れる」「頭の回転が速い」タイプで、超難解な理論でも易易とものにしていく点でずば抜けている。ここでは、ちょっと本気になってくると凡人にはついていけないところが出てきて、(アホくさいかも知れないが)嬉しくなってくる。このところ先生は量子情報あたりの分野を勉強されていたようで、知らない話が多くて興奮させられた。二〇一二年のノーベル賞を受けた、「アロッシュ(仏)のcavity-QEDの手法で光子一個とRydberg原子の作用を扱う実験も、ワインランド(米)のion-trapの手法で原子間の振動と原子内スピン状態の結合を扱う実験も、信じがたいほどの神業である」そうだ(p.165)。ふむふむ、なるほど。まあそれはいいが、とにかく先生の『アインシュタインの反乱と量子コンピュータ』はどうしても読まねばならぬな。いや、量子と情報の関係か、確かにワクワクするようなテーマだ。
 また、第五章の「数理と思潮」も、その中の「存在から関係へ」の文章は、先生の学問歴を、いかにも先生らしい(むずかしい)言い回しで述べられていて、これも読ませる。こんなのを読んでいると、知らぬ間に、おっさんなのに少年の頃のような、学問の「神々」たちに憧れた自分を取り戻している。これは、ジジイになっても変わらないような気がするくらいだ。「力学の本質はけっして質料mのモノが初期条件かくかくで運動するときの軌跡は? という問に答えるためにあるのではない。そうではなく、例えば位相空間という状態空間に表現されているある時刻の状態図のコレクションが与えられたとき、先ず保存量が同じものを選び出し、次にそれらを時間の順序に並べる手法なのである。」(p.275)ハッハッハ、わかるかな? 解析力学を勉強したまえ。
 しかし、きたない数式をごちゃごちゃ使って、三流の論文をひいこら書いて送る研究者になるというのも、今となってはどこか懐かしいような夢であるのかも知れない。そういう人生もあり得たのかも。
 久しぶりに物理の興奮を味わった。とにかく、先生の本で読んでいないのを読もう。


※追記 日本の物理学者で一般向けの本を書かれる方で、最近気になるのが、大栗博司先生だ。この方も頭がとても良くて、難解な超弦理論の研究をされている。個人的なことだが、自分が少年の頃は、まさしくこんな学者になりたいと思っていたような印象の人である。今度ブルーバックスで、超弦理論の入門書を出されるとのこと、これは買わねばなるまい。先生のブログはこちら

大栗先生の超弦理論入門 (ブルーバックス)

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佐藤文隆先生に関する過去のエントリー
「『物理』と『情報学』としての量子力学」→こちら
「南部理論、小林・益川理論の本物の手ごたえ」→こちら