平和構築には事実を知れ

キャッチーな題なのが残念である。著者の伊勢崎賢治さんのことを知っていなければ、自分も手に取らなかっただろう。伊勢崎さんは世界各地で武力紛争の武装解除に携わる一方で、東京外国語大学大学院で「平和構築・紛争予防講座」を教えておられる方である。特に日本政府特別代表としてアフガニスタンにおける武装解除を成功させたのは、大きな仕事であった。自嘲も込めて、「紛争屋」と自称されているくらい、世界各地での紛争の現場に詳しい。本書はその伊勢崎氏が、日本の集団的自衛権の問題その他に対し、持論を述べたものだ。集団的自衛権に関しては、政府の挙げた事例をすべて論破しているので、実際にお読み頂きたいが、自分はその他にも、教えられるところが大変に多かった。特に印象に残ったのは、安倍首相が著書で「軍事同盟というのは血の同盟であって、日本人も血を流さなければアメリカと対等な関係にはなれない」と言っているそうで(p.112)、これは首相の(日本人らしい)無意識を思わず出してしまっているところであろう。伊勢崎さんは、このような「血の絆」の如きウェットな感覚は、アメリカの方にはまったくないと指摘しているが、まったくそのとおりであろう。アメリカとしては、自国の利益になるかどうかだけが問題なのであって、日本がアメリカ(軍)にどうしても必要だ(例えば、第七艦隊の母港は事実上日本にある)ということだけが事実なのであり、余計な感情は理解できないものである。自分は、日本人のウェットなところは悪いことばかりではないと思うが、国際関係には有害無益なものだとも思う。
 本書は徹底的に事実の書である。イデオロギー(右翼とか左翼とか)はまったく関係がない。とにかく日本人は、頭の中だけで考えられた(マスコミ、ネット等の垂れ流す)妄想だけに頼らないで、まず事実を知るべきだろう。例えば伊勢崎さんは、憲法第九条はいずれ改正されねばならないのかも知れないが、今のところ、紛争処理などに関して現実的に役に立つ(それは伊勢崎さんの体験である)ことを指摘している。そしてまた、日本は中東などでも「美しく誤解」されていて、これは失うには惜しい日本の財産になっているそうだ(それがなければ、アフガニスタンにおける武装解除の成功はあり得なかったそうである)。
 それにしても、自分はイデオロギー的には左翼的なのであろうが、自衛隊は本当によくやっていると思う。驚くべきことに、自衛隊には「軍法」がないので、PKOで海外に派遣されても、隊員たちの自覚だけでやっているそうである。実際に何をやっているかというと、危険地帯でわざわざ目立つ格好をして、「日本の軍隊は人を殺しませんよ」ということをアピールしているというのだ。戦闘行為とはちがう、これはこれで大変な重圧であろう。自衛隊員は戦闘行為では死んでいないが、PKO活動から帰ってきた隊員たちには、相当の自殺者が出ているという。伊勢崎さんによれば、現在のPKO活動はどこでも非常に危険なものになっており、自衛隊が戦闘に巻き込まれていないのは幸運だという。
 最近の中国との緊張関係で云えば、戦争になっても失うものは多くて尖閣諸島くらいのものであるし、それよりも、叡智を絞れば平和的に解決することはきっと可能だと、過去の各国の紛争を解説しながら述べる。キーワードは「ソフトボーダー」で、当事者双方が「痛み分け」を承認することにより、紛争を終わらせるやり方である。現実的には、それしか方法はない。事実としては、過去中国は尖閣諸島のソフトボーダー化を事実上容認してきたのであり、日本の民主党政権が無知によりそれを覆してしまったわけだが。
 とにかく我々に足りないのは、まず事実を知ることであろう。本書は、きっとその目的に叶うものだと信じている。