(陳腐な表現だが)笙野頼子は過激だ!
- 作者: 笙野頼子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/04/26
- メディア: 単行本
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別の言い方をしてみると、著者の文学でいちばん危険なところは、その言葉が立ち上がってくるその地点の過激性であろう。ここから言葉が出てくるとき、著者は「発狂」スレスレになると云ってもいい。それは、言葉の意味(シニフィエ)から、近づいていくことはむずかしい。むしろ、音楽を聴くように、それを「体感」するように、読んでみる必要がある。
ちなみに、本書の小説部分はいま書いたとおりであるが、併録された「種明かし」みたいな文章は、じつに「フツー」の文章なので間違ってはいけない。これは著者が「頭でわかって」書いている文章である。小説部分の「深さ」はここにはないので、それは注意すべきであろう。ちなみに、自分はこの併録された文章をおもしろくは読むけれど、特に感心もしないことは断っておこう。著者が柄谷行人と吉本隆明を批判し、東浩紀を罵倒しようが、どうでもいいことである。その意味で、かかる著者の(「文学的」)努力は、特に同情できない。著者のすごいところは、こんなところにはないのである。
しかしこの三部作、どうして文庫化されないのか? これはおかしくないか。