『存在の耐えられない軽さ』以上のミラン・クンデラの傑作

冗談 (岩波文庫)

冗談 (岩波文庫)

西永良成訳。まず書いておくと、最近ではこれほど貪るように読み、途中の中断すら惜しいほど惹き込まれた本はない。本書はクンデラの処女作であり、個人的には『存在の耐えられない軽さ』の上に置きたい。題名である「冗談」とは、共産主義下のチェコで、ある青年(主人公のルドヴィークである)がガールフレンドに「冗談」で共産主義を揶揄するような葉書を送ったところ、それが元で当局に連行され、軍の強制労働に従事することになることから来ている。物語はそのルドヴィークの章と、彼に関係する人物の視点から見た章が交互になっている。自分がいちばん没入したのは、第三章のルドヴィークの収容所でのエピソードであり、ここで不思議な女性であり、本書でいちばん謎めいた登場人物であるルツィエとの「恋愛」が語られる。ルツィエは意識の薄ぼんやりとしたような、おどおどすらした女性なのであるが、他ではインテリの鼻持ちならなさが時として出るルドヴィークであるけれども、ルツィエとの関係ではそこに本当の「愛」があるような感じで、不思議な雰囲気が出ており、何故かわからないが自分はとても惹かれた。自分でも何にこれほど惹かれるかよくわからず、恐らくはここに自分の精神分析学的な無意識が出ているのかも知れない。
 その他の章も読み応えは充分であり、その体験をくぐり抜けたルドヴィークは、自分を陥れたゼマーネクに復讐しようとするのであるが、あとは読んでのお楽しみということにしたい。本書には自分にはよくわからないところも少なくなく、特にヤロスラフと「王様騎行」のエピソードは、本書の中で他と遊離している感がある。また、ルツィエとの再会も、プロットからすれば殆ど意味がない。けれども、それを除けば、小説の謎も失われてしまうようでもあるし、自分には何とも言えないのだが。なお、本書は1968年のソ連軍のチェコ侵攻以前のエピソードであり、ソ連軍の侵攻は、本書を政治的文脈で読むことを時代に強要してしまったところがあるらしい。しかし自分は、本書の文学的価値を強調したいと思う。これは本物の小説であると確信している。
 蛇足であるが、本書は著者の手が全面的に入った、最後のフランス語版から翻訳されている。日本語として見る限り、立派な翻訳であると思う。岩波文庫に相応しい古典であろう。