ハイゼンベルクの思想

部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話

部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話

物理学者が一般向けに書いた名著の中でも、とりわけ有名な本書が未読であったので、読んでみた。著者ハイゼンベルクは、量子力学を構築した英雄たちの中でも勿論第一に挙げられるべき天才の一人であるが、その彼の思索の跡を、自伝風に時系列に追ったのが本書である。物理学についての記述が興味深いのは当然だが、理論の解説ではなく、その時々の彼の思索の様子が語られているのが特徴的だ。そしてそれが、ボーアやパウリらとの会話を再現することにより、哲学的に展開されたり、また哲学プロパーの話題にに踏み込んでいくところがスリリングである。著者らの哲学的素養はたいへんなもので、新カント学者との遣り取りや、論理実証主義への疑問など鋭く、恐らく哲学徒が読んでも相当に興味深いのではないか。個人的には、新カント学者が、因果性を破壊する量子力学の誤りをいうところがおもしろかった。もちろん量子力学が誤っているのではなくて、物理学の因果性と、カントのいう超越論的に要請される因果性とは同じでないのが原因で、量子力学でも、例えば「波動関数の収縮が確率による」という文自体は、(カント的な意味で)因果的に把握されているわけである。
 ハイゼンベルクナチスの関係も、一応言及しておくべきであろうか。この点でなんとなくハイデガーを思い出してしまうのだが、それと比べると、同じくドイツに残った学者にせよ、ハイゼンベルクのほうが遥かに思慮深かったように思われる。実際、原子爆弾の現実性を知りながら、現実化には莫大な費用がかかることもあったが、一種のサボタージュを行っていたようだ。(連合国側は、ハイゼンベルクの暗殺まで考えていた筈である。)そして、実際に広島に原爆を落としたのは、ドイツではなかった。(ファインマンなどは、若き優秀な物理学者として、原爆開発の知的興奮を、淡々と語っていたと思う。)平凡だが、戦争は嫌である。