クリア・カットな、稲葉振一郎の経済学のすすめ

経済学という教養 (ちくま文庫)

経済学という教養 (ちくま文庫)

本書は一応、「非専門家による、数式を使わないマクロ経済学講義」とでもいうものであるそうだが、経済学のずぶの素人には、それほど易しい本ではなかった。著者の思惑どおり、こちらの「民度」が上がったかどうかはわからない。といっても、記述はクリア・カットであり、マクロ経済学を、スミス=ワルラシアン、実物的ケインジアン、貨幣的ケインジアンの三つに大別して、現象を快刀乱麻を断つごとく切っていくのは、爽快といえないこともない。(ちなみに、マルクス主義も、ネガティヴな形ではあれ、忘れられてはいない。)
 具体的な政策提言としては、インフレ誘導であり、財政出動による景気回復(またそれによる税収増加)であり、金融緩和である等等が語られる。著者は、マクロ経済学の成果を、基本的に信用しているのだ。
 しかし、そこのところでずぶの素人は引っかかってしまう。例えば著者は、景気の回復による税収の増加により、多額の財政赤字は大した問題ではないと見るが、本当に大丈夫なのか。また、不平等をなくすより、景気を良くしてパイの大きさそのものを増やすことが弱者のためになるというが、強者のパイだけ大きくなって(トヨタという企業の好業績)、弱者のパイは変わらない、あるいは縮小する(トヨタの孫請で働く派遣労働者)ということは本当にないのか。インフレは良いが、給料が変わらないインフレにはならないのか。
 しかしまあ、論題の当否は、現実が決定してくれるであろう。経済学よ、頑張ってくれ。あたかも今、石油や穀物の価格の上昇により、インフレが再び始まりそうである。現実が良くなることを望むばかりだ。