中沢新一の詩的イメージ批判

狩猟と編み籠 対称性人類学2 (芸術人類学叢書)

狩猟と編み籠 対称性人類学2 (芸術人類学叢書)

「映画としての宗教」ということなので、映画について無知な者としてはどうかと危ぶんだが、いや、堪能させられた。中沢新一の「詩的イメージ批判」という感じで理解した。著者はイメージの種類を、次の三層に分けて整理している。

①イメージ第一群
 流動的知性の運動に直接的に触れながら、思考とイメージの基層的な運動を突き動かしている。ホモサピエンスの思考はアナロジー(喩、類化性能)の発達した能力によって特徴づけられるが、異なる認知領域を横断していく流動的知性があらわれることによって、ほかの人類にはなかったこのような能力が生まれた、と考えることができる。人類の脳組織におこったほんものの「革命」の本質を記憶・保存しているのが、この唯物論的なイメージ群の働きである。
②イメージ第二群
 視神経からもたらされる情報をもとにしてイメージを構成する脳の局所領野の働きと、「イメージ第一群」の運動とが重ね合わされるところに、この群のイメージが形成される。意味の生成ということがおこるのは、主にこの群のイメージを仲立ちにしている。具象的世界につながりをもつ視覚的イメージの下層には、意味作用をもたない無意味な「イメージ第一群」の力動がたえまなく打ち寄せているために、この群のイメージは無から有への生成として、あるいは有の無への融け込みとして考えられるような生起力をそなえることになる。イメージ自体がインターフェイス(境界面)としてのなり立ちをしているために、横断性や越境性をもつことになる。
③イメージ第三群
 「イメージ第二群」としてあらわれる境界面そのものが、「イメージ第一群」との接触を薄くして、有の意味領域の側にくり込まれるようになるとき、想像的・幻想的なこの群のイメージが強力につくりだされてくる。それまで視覚的イメージの安定性をおびやかしていた流動的無の力は、ここでは「無」の記号につくりかえられて、表現可能なものに変貌する。宗教の言葉で言えば、「神」や「精霊」が記号化され、実体性を与えられるようになる。この群のイメージを構成する原理と都市空間の構成との間には、本質的なつながりがある。ものごとは生起や消滅ではなく、メタモルフォーシスしていく有の連なりとして思考されるようになる。

現代の文化のあらゆる領域で、幻想が幻想を生み、幻想が厚い層をなしている状況がずっと頭にあったが、それはまさしく、この「イメージ第三群」の働きなのだとはっきり得心させられた。おそらく、これから何度も立ち返る書物になるような気がする。