柴田宵曲の子規伝

評伝 正岡子規 (岩波文庫)

評伝 正岡子規 (岩波文庫)

柴田宵曲の文章は好きだ。高い声や大きな声を挙げない。一見淡々として平凡そうだが、句読点の切り方や漢字の見栄えにまったく意図的で、容易に書けるようなものではない。「宵曲」の由来は「消極(的)」から来ていると何かで読んだことがあるが、そういう美学が造りあげた、高雅な文体なのである。
 と、そういう調子で正岡子規の生涯を語っているのであるが、また子規の凄いことといったらない。三十代の半ばという短命であり、しかもその晩年は病で横臥したままで、後の日本文学に巨大な影響を与えたのであるから。それでも子規は、やりたいことの百分の一も出来なかったというのである。布団から起き上がれなくなり、死んでしまいたいと思うほどの苦痛に耐えながらも、そのような状況においてすら何かしらの楽しみを見出してしまうのには、驚くほかない。子規は、同じ頃に出た『一年有半』と自分とを見比べて、兆民がダメで自分と違うのは、自分には「美」の世界がある点だということを書いているが、この子規が最初に見出した「美」が彼自身に大きな力を与えたのは、我々としても深く心に刻んでおかねばならぬことだと思う。