鎌倉新仏教について

いわゆる鎌倉新仏教を、「官僧」と「遁世僧」という著者独自の視点から記述している。ここでいう「官僧」というのは、国立戒壇で受戒を受けたいわば国家公務員的な僧であり、「遁世僧」というのはそこから離れていった僧のことを指す。だから、「遁世僧」としては、法然親鸞日蓮栄西道元などは勿論のこと、叡尊明恵など、普通官僧と見做される僧も含まれるのである。本書では、彼らが勧進を行なって土木・建設作業に携わったり、穢れを怖れずに、葬送や非人の救済に従事したりする様子が描かれている。彼らのような存在が活躍するようになったのは、やはり時代の変化、特に個人のあり方の変化があったためであろうし、それには、本書には明示されていないが、古代的な律令制の崩壊と貨幣経済の浸透が与って力があったであろう。
 それから細かいことだけれども、「葬式仏教」というのは、今でこそ宗教の堕落として評判が悪いが、もともと日本の僧というのは穢れを嫌って葬送ということをしなかったのであり、僧が葬式に携わるというのは実は画期的だったというのはおもしろい。