ほとんど喧嘩

この本について語りたい人は沢山いるだろうな。第三章なんて、ほとんど喧嘩になっているのが凄い。いずれにせよ、二人とも「公共性」ということをここまで真剣に考えているというのは、なんだかんだいって偉いことは偉いと思う。自分はとてもこうまで、知識人という自覚がない。それにしても、大塚英志はどうしてここまで、自分の信念を他人に押し付けようとするのか。黙って実践すればいいと思うのだが、こう思う方が間違っているのだろうか。東浩紀がキレるのも無理ないという気がする。それから、今回この本を読んでみて、意外と大塚は自分語りが多いことに気がついた。「公共性」と「自分語り」というのは、どうも矛盾なく一人の中に同居できるらしい。これはどういうものだろうか。