アフリカ・レポート

アフリカ・レポート―壊れる国、生きる人々 (岩波新書)

アフリカ・レポート―壊れる国、生きる人々 (岩波新書)

アフリカ問題は政治問題であるくらいのことは、分っていると思っていた。実際はというと、政治問題ともいえないほどなのだった。
 著者はアフリカの国家を、①政府が順調に国づくりを進めている国家、②政府に国づくりの意欲はあるが、運営手腕が未熟なため進度が遅い国家、③政府幹部が利権を追いもとめ、国づくりが遅れている国家、④指導者が利権にしか感心を持たず、国づくりなど初めから考えていない国家、の四つにまとめている。このなかで①に妥当するのはボツワナくらいで、②が十箇国程度、③が最も一般的であり、④にはジンバブエアンゴラスーダン、ナイジェリア、赤道ギニアなどがあるという。この④が非道い。このような国の住人は本当に不幸である。指導者のモラルが完全に崩壊し、政府は何もしないどころか、住民が自発的に生活改善の組織を作っても、反政府組織になることを怖れて、これを妨害するほどなのである。
 原因はいろいろあるが、一つは部族の問題である。アフリカの国境はヨーロッパの諸列強によって人為的に引かれたものであり、国内にいくつかの部族が混合することが多く(だから、アフリカではナショナリズムが弱い)、支配的な部族がすべての国家権力を握ってしまうのである(「国民のため」という意識が薄い)。また、先進国がアドバイザー的な人員を送り込み、国家がそれらに頼らざるを得なくして、一部の特権階級と共に利権を独占するという構図もある。そして、腐敗が国際的に非難されれば、それらは「レイシズム(人種差別主義)」だと言って一蹴するというのが、お定まりの文句であるというのだ。
 折しも日本でも、先日政治的に「突然死」した福田首相が、「第四回アフリカ開発会議」においてアフリカに対するODAの額の倍増をぶち上げたが、これらの相当な部分が腐敗した政府関係者の懐に入ってしまうことを、いったい首相は知っていたのであろうか。まったく馬鹿馬鹿しい話だ。