ナチュラリストは楽観主義者でいられるか

バイオフィリア―人間と生物の絆 (ちくま学芸文庫)

バイオフィリア―人間と生物の絆 (ちくま学芸文庫)

著者は自身を、ナチュラリストと規定している。ところで、刻々と破局に近づいている今、悲観主義的でないナチュラリストなど、存在するのであろうか。著者の態度は、あまりに楽観主義的であるように見える。科学に対する臆面もない賛歌は、ナイーヴというほかない。確かにこの本は、すでに四半世紀前のものであり、それは時代の影響を受けていることもあろう。現在のウィルソンの姿勢は、一体どのようなものなのであるか知らないけれども。
 ウィルソンが、生物多様性の重要さを唱導する伝道師であることは、よく知られている。しかし、生物多様性など、何ほどのこともないと思う。過去にも大絶滅はあった。現代の大絶滅も、人類が滅びれば、適応放散によって、生物の多様性は一気に回復されることは疑いない。問題は、人類がどのように絶滅するかである。人類も、必ず絶滅する。いくら危機を乗り越えても、最終的に、膨張した太陽が地球軌道を呑み込んだ後まで、生き延びることは不可能である(それは何億年も先の話だが)。そこまでいかないとして、地球そのものを道連れにして滅びてしまうのか。そんな先の話は、果してどうでもいいことであろうか。
 著者のエコロジーも、ナイーヴなものに見える。少なくともガタリ的な視点からすれば、そう言わざるを得ない。それから、些細なことだが、「量子論相対性理論を最終的に完成したヘルマン・ヴァイル」とあるが、これは何のことだろう。量子論は未だに完成されていないし、確かにワイルは一般相対性理論について美しい本を書いたけれども、これは「相対性理論を完成させた」というようなものではないが。
三つのエコロジー (平凡社ライブラリー)

三つのエコロジー (平凡社ライブラリー)