ジジェクによるラカン

ラカンはこう読め!

ラカンはこう読め!

現代思想を用いてこれほど楽しませてくれる思想家は、この鬼才ジジェクよりほかにいないかも知れない。この本も、ついラカンの入門書であることを忘れてしまうほどだ。自分としてはラカンにはさほど興味を抱いていない、というか、ラカニアンの中に興味を持てない人が多いのだが、ジジェクは文句なしに面白いと思う。ラカン(とヘーゲル)を用いて現象の「裏」を読み解いていくのは、いつもながらシャープだ。まあこれもいつものことだが、そんなに「裏」すなわち「無意識」ばかり詮索してどうするの、と言いたくならないでもないが。しかしその「無意識」だが、これはフロイトのなのかラカンのなのか、それともジジェクのなのか分らないが、「無意識」といってもそれは、かなり「表層」というか、「浅い」ところのものであるように思えてしまう。簡単に言語で到達できるような「無意識」など、本当に無意識と言えるのだろうか。
 それから、これはまあブログだから書いてもいいと思うが、ジジェクの(物理学における)相対性理論の理解は間違っているところが何箇所かある。
アインシュタイン特殊相対性理論から一般相対性理論への移行を例にとって考えてみよう。特殊相対性理論はすでに歪んだ空間という概念を導入しているが、その歪みを物質の効果と見なしている。」
ジジェクがどういうつもりで空間の「歪み」といっているのか分らないが、空間が歪むというのは、一般相対性理論になってからと考えるのが普通である。「特殊」の方はせいぜい四次元の斜交座標系で考えられており、「一般」のように、空間の歪みを記述できるリーマン空間がまだ導入されていない。とりわけ、物質の効果で空間が歪むのは、はっきりと「一般」の方である。また、
一般相対性理論は、歪んだ空間という概念によって、観察者にとってのすべての運動の相対性と、光の絶対的速度(光は観察者の位置にかかわらず一定速度ですすむ)との矛盾を解決する。」
とあるが、これはむしろ特殊相対性理論の解説にふさわしいものである。これを見ると、どうもジジェクローレンツ変換を空間の「歪み」と捉えているのかなとも思うが、ローレンツ変換は空間の歪みとは関係がない。
 もちろんこれらは、ジジェクとしてはお遊びとして軽い気持ちで使ったレトリックだと思うので、いいようなものだが、お遊びだからこそ、正確に使ってほしかったとも思うのだ。もちろん「サイエンス・ウォーズ」とかなんとかという気はまったくない。完全にはったりで現代数学を使っているクリステヴァなどとは、同一視すべきではないと思っている。