フロイト理論の先へ

来るべき精神分析のプログラム (講談社選書メチエ)

来るべき精神分析のプログラム (講談社選書メチエ)

何の気なしに読み始めた本だが、半可通にとっても大変おもしろいものだった。著者は精神分析家であり、精神科医としての臨床もおこなっていて、本書もその知見の上で書かれているが、内容は高度に理論的なものである。
 著者はダニエル・スターンの発達論をオートポイエーシス理論に接続し、そこから、感覚、欲動、情動、言語の四つの自己感を抽出する。そして、これらの四概念を本書全体で縦横無尽に駆使するのだが、その際のこれらの概念の使用の明晰は驚くほどで、これは何か掘り当てたなという感を強くする。とりわけ、欲動と情動を明確に区別したのは、たぶん画期的なことではないか。(「欲動」は性器や口唇などを中心とした局所的なもので、「情動」はほぼ感情に近い概念だといえようか。)また、それらは互いに絡み合うもので、例えば「感覚の回路の形成に対し、そこに情動の回路の形成が加わると、それまで断片化されたまま乳児の知覚世界に浮かんでいた複数の感覚対象が連結し、まとまりを得る。またその統一された感覚対象には独自の質感が付与される」といった具合である。
 また、著者のエディプス・コンプレックスの解釈も明快なものである。すなわち、「エディプスとは自己システムと社会システムがカップリングを形成(および調整)していく過程で生じる自己システム内の作動上の変化だ」と定義される。これに拠り、クラインの早期エディプスと、フロイトの発見したエディプスとが区別されるが、これもまた明快である。「早期エディプスでは、主として情動の回路を中心としたカップリング形成にともなう心的作動の変化が問題になっているのに対し、(フロイトの)エディプスでは、主として言語の回路を中心としたそれが問題となっているのである。」
 後半の臨床への適用や、分析家のあり方についての議論もおもしろい。特にジュネ論は、最近『花のノートルダム』を読んだばかりだったので、とても興味深かった。それにしても、アマゾンで見てみたのだが、『恋する虜』が品切れなのは、ひどいではないですか。