フッサール・セレクション
- 作者: エトムントフッサール,立松弘孝,Edmund Husserl
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2009/01/09
- メディア: 文庫
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自分が理解したところを大雑把に書いてみると、まずフッサールは、経験したもの(しばしば「自然」と呼ばれる)を、(自分流にいうと)精神の超越論的な「構造」のようなもの(カントでいう超越論的統覚に当る)が<構成>して、知覚が成立すると考える(一種の独我論)。その「構造」のようなものを彼は様々に表現しているのであるが、ひとまず<純粋意識>としておくと、それが経験に向かうのが<志向性>の働きである。その<純粋意識>を取り出し、理解する方法が<現象学的還元>あるいは<エポケー>であって、自然的な意識を<括弧に入れる>というやり方である。彼はこんな風に述べている。「あらゆるものを放棄することは、あらゆるものを獲得することであり、世界をラジカルに棄却することは、究極的に真なる現実を観取し、それによって究極的に真なる生を生きるために必要な方途である。」
独我論のアポリアである「間主観性」の問題については、ここにはほとんど記述はないが、実際のところ、フッサールはどう考えていたのだろう。よくは知らないが、たぶん解決できなかったであろうことは予想がつく。これは「他者」の問題*1と深い関係があるが、二十世紀の哲学で大いに論じられ、それなりの進展があったにもかかわらず、決着をみなかった問題でもあるから。