チャペックの傑作戯曲と労働

ロボット (岩波文庫)

ロボット (岩波文庫)

言わずと知れた、チャペックの傑作戯曲。「ロボット」という語は、この戯曲で生まれた。機械文明が人間を幸せにするか、という、今では陳腐にすらなってしまったテーマだが、一九二〇年という早い段階で書かれた本戯曲は、チャペックの文学的才能もあって、今日でもまったく古びていない。
 ここでは、感情を持ったロボットが最終的に人間にとって代り、しかし人間なしでは生きられなかったロボットも否応ない死を恐怖しながら、ロボットの中に、ロボットとしてのアダムとエヴァが誕生するところで終っている。結局人類は滅びてしまうわけだが、ロボットを最初に創った人間たちは、実は人類のさらなる理想を追い求めてそうしたのであった。R.U.R社の社長はこういう。
「ええ、十年もしないうちにロッスムのユニバーサル・ロボットが、小麦でも、布地でも、何もかもうんと作り出すので、そう、物には値段がなくなるのです。そのときは誰でも必要なだけ取りなさいということになります。貧困もなくなります。そうです、仕事もなくなります。でもその後ではもう労働というのがなくなるのです。何もかも生きた機械がやってくれます。人間は好きなことだけをするのです。自分を完成させるためにのみ生きるのです。」
これはユートピアだが、ユートピアが現実化することは怖しい。だが、現実にも、文明というのはこの方向に進んできたのである。そして、人間は人間でなくなる。本戯曲はそれを、キリスト教的に、神への冒涜とその帰結として描いているが、これが現代日本だったらどうなるか。陳腐極まりない言い回しではあるが、労働者がロボットとして扱われているアンチ・ユートピアは、我々が神なきゆえだからだろうか。