菅啓次郎とボーダー

狼が連れだって走る月 (河出文庫)

狼が連れだって走る月 (河出文庫)

本書について語るのはむずかしい。そう、本書でまず印象に残るのは、ボーダーに身を晒すエキゾチズムであろう。しかし、著者はそれを喜ぶまい。あまりにもナイーヴな読み方だからだ。逆にボーダー、クレオール、チカーノ、かかるものに触れて得られる感性というものは、実際にその場へ行ってみないと得られないのか。それこそあまりにも単純素朴、想像力の貧困とも云えるだろうが、やはり現実に触れるということは、また実際にはそれなりの意味があるとも云えるだろう。その意味で、八〇年代的な恥ずかしさを脇に置いておいても、本書は両義的であるとしか云えない。
 別の方から考えてみる。世界は無限に精妙であり、我々の心は、その精妙さを捉える能力を、原理的にもっている。しかし、我々の認識は、実際にはその精妙さの次元には達せず、「制度」によって縮減されて、遥かに低い次元数しかもつことができない。「野生の思考」とは、心にそのような精妙さを取り戻す、ラディカルな方法に他ならなかった筈だ。それを思えば、本書はそれに自覚的であるか否かに拘わらず、「野生」に近づいているとは云えるだろう。あとはそれを、ここ、まさにこの場で、やってみせることだ。我々は必ずしも、地球の裏側まで行く必要はないし、無菌室で家畜化された我々の生の中で、やってみせられなければ、それは何の意味もないだろう。本書が、そのためのスプリングボードになれば、以て瞑すべしではないか。
 最後にしかし、ひとつ。本書で一番気になったのは、ゲーリー・スナイダーの存在である。ケルアックの『ダルマ・バムズ』には、かつて自分も感銘を受けたのだった。彼の試みたことは、今でも、今でこそ、様々な人が様々なやり方で、受け継いでいく価値が充分にある。