訳者解説によれば、批評家
エドマンド・ウィルソンは本書を酷評したそうであるが、彼のごときハイ・ブラウには、本書はあまりにも
通俗的だと思われたのかも知れない。確かにわからないでもない、何故って、本書はあまりにも面白いから。自分は高尚な人間でも何でもないので、この「下品な」小説の魅力にやられてしまった。じつは、訳者も書いている、
開高健の絶賛は知っていて、開高ファンとしては前から読みたいと思っていたのだ。だから、何故か二年間も
積ん読にしておいたのをふと読んでみて、底から楽しい思いをした。主人公はあの『
君主論』の著者である、ニッコロ・
マキアヴェリであり、もう一人主人公格として、かの
チェーザレ・ボルジアが配されている、傑作
歴史小説である。
ルネサンス期の分裂したイタリアを巡る、
マキアヴェリと
チェーザレの丁丁発止と、途轍もない女好きに描かれた
マキアヴェリの情事とが絡みあって、息をつく暇もない。だいたい
モーム自身が、人生の酸いも甘いも味わい尽くした、煮ても焼いても食えない男であるから、その彼が、権力と色事を、腕によりをかけて料理してみせているのだ。そして笑い! 何度もきりきり舞いさせられる
マキアヴェリだが、イケメンならずも才気煥発、何とも魅力的な男に描かれているではないか。まさしく大人のための「お話」。面白い小説を読みたい向きは、是非どうぞ。
しかし、本書は「通俗小説」らしいが、最後の
チェーザレと
マキアヴェリの長い対話には、自分はおもわず粛然としてしまった。腹の探り合いまで楽しんでしまう二人なのに、ここでは最高度に頭の回る人間の底にある真摯さのようなものすら、垣間見えているように思う。