精神と身体の二元論に陥らないことは可能か

精神としての身体 (講談社学術文庫)

精神としての身体 (講談社学術文庫)

著者によれば、精神と身体(物体)を最もはっきりと区別したのは、デカルトだという。それに対して著者は、両者の間に、一筋縄ではいかない関係があることを主張する。たとえば、事故かなにかで片足を切断した患者が、ないはずの足に、痒みや痛みを感じたりするような現象があったりするのがその例だ。
 この本で面白いのは、身体と精神の関係を、現象学的なアプローチで解明した部分である。身体は、痒みを考えればわかるように、意識に内在的である場合がある一方、自分の足を他人に示す時のように、意識に外在的である場合もある。また、他者の認識する私の身体(対他身体)というものも、考えることができる。さらに、その対他身体に対する私の意識などもあって、以下続くわけであるが、これなども単なる空想ではなくて、たとえば赤面などは、その一例だと考えることができる。大体、表情というものが、精神と身体が複雑に絡み合って存在するところのものなのだ。
 この本の後半は、生理学的な事例によって身体を考察しているが、精神の方ががどこかへ行ってしまった感は否めない。記述も生硬である。また、言語をこのようなアプローチで記述するのは、かなり無理があるといわざるを得ない。