林達夫について

わが林達夫

わが林達夫

個人的なことを言えば、林達夫は、学生の頃に中公文庫の四冊を購入して以来、二十年近くの間愛読してきた、愛着ある学者=批評家である。今でも元気を貰うため、時々ぱらぱらと読み返すことがある。その愛読者の眼から見て、高橋英夫林達夫論は、林の文章の内容面については充分納得のいくものであった。林の核心と思われる「反語的精神」を論ずるのは最も批評家の力量を問われる点であろうが、高橋はこの正面突破を試みてまず成功したといってよい。林の精神形成を論じて彼の「ニヒリズム」を指摘するなど、意表を突きながら納得させられる筆の運びだ。
 しかし、不満がまったくないわけではない。また個人的なことになるが、自分が林に惹かれ続けてきたのは、内容も勿論だが、そのスタイルの魅力が大きかった、ということがある。実際、林達夫は、日本語の散文家として最高の一人であろう。あの(澁澤龍彦の言を藉れば)「ギャランな」調子、そしてあの驚異的な明晰、これらは一体どこからきたのか。確かに、論じにくい対象ではある。しかし、高橋はせっかく林の「思想の文学的形態」の重要さを指摘しながら、林自身の文章に対しては、これを適用することを怠っている。
 高橋が林との個人的な関係について語っているところや、巻末の鼎談も面白かった。それにしても、林について語る人の口ぶりは、ほぼ例外なくオマージュになってしまう。まったく林達夫というのは、それにふさわしい人だった。