- 作者: 定方晟
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1990/05/15
- メディア: 新書
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ところで著者は、宗教者として物理学者のナイーヴさを嗤うが、こういうのは天に唾する行為だと思う。例えば著者曰く、「物理についてなにも知らないわたしがいろいろ生意気なことをいってきたのは、問題が言葉にあると信じたからである。」まさしくその通りで、物理も言葉である。宗教の言葉も、それについてある程度の知識がなければまったく無意味なように、物理の言葉も、ある程度物理の知識がなければ正確な理解は叶わない。もう少し引こう。
「一部の科学者はいう。『宇宙は有限である』と。『有限』とはなにか。限界があるということである。では、限界の向こうにはなにがあるか。かれらは『なにもない』というだろう。しかし、なにもないなら、そこは空間ではないのか。」
しかし、実は、「限界の向こう」ということそのものが、ないのである。正確にいえば、四次元多様体としての、時空そのものが存在しない。だから、宇宙の向こうというのは、あるとも言えないし、ないとも言えないのだ。それこそ、これは仏教的ではなかろうか。
また、著者は唯識を誤謬だとして斥けるが、仏教の認識論的な側面を認めない立場からすれば、わからないでもない。確かに、悟りとは直接関係がないからだ。しかし、例えばアーラヤ識の存在というのは、簡単に否定できるものではあるまい。著者ならその「存在」というところが気に入らないであろうが。
いろいろ否定的なことも書いたが、本当に面白く読んだのである。中論については、もっと勉強してみたいと思わされた。とにかく痛快な宗教書なのだ。