集中講義! アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険 (NHKブックス)
- 作者: 仲正昌樹
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2008/09/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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実は、読むのに下心があって、それは、どうして自分はローティが嫌いなのだろうかということを、教えてもらえないかと思ったのである。『哲学と自然の鏡』も『偶然性・アイロニー・連帯』も、読んでみてダメだと思った。それについて、著者の整理は腑に落ちるものだった。すなわち、
「ローティは、哲学者相互の会話としての『哲学』という営みには、共同で真理を探究し、異論の余地のない最終的真理に到達することを目的とする『認識論 epistemology』的なタイプのものと、会話者同士の合意を目指しながらも、意見の不一致もさらなる対話のための生産的な刺激と見なす『解釈学 hermeneutics』的なタイプのものがあると指摘する。」
そして、
「ローティに言わせれば、お互いの依拠する文脈を理解し合いながら、視野を広げていく『解釈学』的な会話の方が生産的である。」
とあるが、自分は認識論を否定できないからだな、ということである。これは、「真理はない」というローティの立場からすると当然の結論であろうが、自分は、「認識論」が「解釈学」を支えねばならぬと考えてしまうのだ。そして、「真理はない」というよりも、「真理はあるわけではないし、ないわけでもない」と(仏教的に)答えなければならないと考える。そうしないと、自然科学の営みを説明できなくなってしまうと思うのだ。(実際ローティは、科学も真理ではないという立場である。)
それから、仲正は面白いが、アメリカの現代思想はやはりあまり面白くないということを、再認識させられた。現代思想といっても、アメリカのそれは殆ど社会学だと思うけれども、みな表面的なことばかり語っているし、まさしくそうすべきなのだというのだが、自分はどうしても深みへの志向を断念できないでいる。乱暴なことを言えば、リベラリズムでも、リバタリアニズムでも、コミュニタリアニズムでも、どうでもよいとすら思うときがある。ただ、怖ろしいのは、このような表面的な議論が、政治と直結して、信じられない野蛮を引き起こすというのが現実となっていることだ。そういう意味では、これからも、アメリカの現代思想を無視できないことになっていると言えようか。