フーコーの講義集成8

とてもこの本を要約する能力はないので、とりとめもない感想だけ。
 まず、フーコーの他の著書ではほとんどなかったと思うが、現代史に対する記述がまとまって見られるということ。それから、これも彼にしてはめずらしく、アダム・スミスマルクスマックス・ウェーバーなど、大物学者の名前が比較的多く登場する。これらの名から分る通り、現代社会学や経済学にかなり踏み込んだ分析をしているが、とりわけアダム・スミスの有名な「神の見えざる手」について、経済がうまくいくのは、経済の総体がまさしく個々の経済主体にとって不可視になっているが故だ、なることを含意しているという点などが面白かった。ここでハッと気づいたのだが、イギリス流の自由主義を否定すれば、統治主体が何らかの社会設計を現実化せざるを得ないが、そのようなことは社会の過度の複雑性によって上手くいかないと考えれば、また自由放任に戻って、矛盾してしまう、ということである。この矛盾はさしあたって個人的なものであるが、これを性急に解決しようとは思わない。とりあえず矛盾のままにしておきたい。ヒントは、フーコーが次のように言っているところあたりにありそうだと思われる。
「統治術は主権空間のなかで行使されなければならないが、しかし厄介なこと、不幸なことに、その主権空間が、経済的主体によって住まわれ、住みつかれていることが明らかになる、ということである。」
統治空間と経済的空間は、いわばズレているのである。