おまえが若者を語るな?

おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154)

おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154)

本書は、宮台真司香山リカ東浩紀宇野常寛といった知名度の高い論者らによる若者に関する言説を、「実証してない」「実証できない」というタームで、切って捨てたものである。実際のところ、著者の「実証」「実証」のオンパレードには、少なからず、うんざりさせられざるを得なかった。確かに、実証可能なことを印象論でごまかしているという批判(というかほとんど怒り)は、わからないではない。印象に基づいて「若者たち」を腐し、彼らのモラルに悪影響を与えるというようなことがあるとすれば、それは確かに非難に値するであろう。(香山リカなどは確かにそうだろう。)
 しかし、思うのだが、著者は東浩紀の『動物化するポストモダン』を論じて、
「この認識は作品論ですらない表層的な『構造分析』から無理矢理導き出されたものに過ぎず、実証的な立場から理解することは、極めて困難といわざるを得ない。そもそも反証が極めて難しい。東は作品やキャラクター、あるいはデータの構造のアナロジーのみでものを語っており、そのアナロジーの正しさを裏付ける実証的な証拠を出してはいないからだ。」(p.107)
などというのは、思想というものがまったく判っていないといわれても仕方がないだろう。これは社会学の論文などではないからである。もう一歩踏み込んでいえば、これは小林秀雄以来の、日本の伝統的な「文芸評論」というフォーマットに(無意識的にかもしれないが)則って書かれていることが、まったく理解されていない。恐らく著者なら、江藤淳の『成熟と喪失』すら、「非実証的」として切り捨てるに違いない。憶測でものを云って申し訳ないが、著者は、小林秀雄吉本隆明江藤淳柄谷行人といったあたりの著作を、いかほども読み込んでいないことは断言できる。実証もいいが、そのあたりのところが、現代の「知的荒廃」に他ならないと自分なら思ってしまうのだが、どうであろうか。
動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

成熟と喪失 “母”の崩壊 (講談社文芸文庫)

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