南鳥島特別航路

南鳥島特別航路 (新潮文庫)

南鳥島特別航路 (新潮文庫)

日本列島の自然を訪ね、普通ではちょっと行きにくいようなところへ行っている旅の記録。著者に言わせれば、「普通の旅行と登山の間くらい」の旅ということである。ここ暫く枕頭の書としていたもので、自然の香りが漂ってくるような本だ。本の題名にもなっている「南鳥島特別航路」や、「雨竜沼、湿原の五千年」の章が、浮世離れしていて(?)特にいい。南鳥島というのは勿論日本の最東端で、気象庁自衛隊アメリカの沿岸警備隊すべて合せて五十人ほどの人々が、いるだけなのだそうである。自衛隊機で行くのでなければ(これに乗るのは殆ど不可能)、貨物船で東京から八十時間の船旅しかないらしい。経済水域の二〇〇海里の中に他の陸地のまったくない、太平洋にポツンとある小島へ行けるというのは、ある種の人々にしてみれば、かなり羨ましい体験に他なるまい。
 著者は「エコロジー」や「地球にやさしい」なんて言葉は使っていないし、多分嫌いな言葉だと思うが、何もいわずにその実質は実行している人だし、自然とつきあうというのが貴重な知識だということを、知っている人でもあると思う。著者はこんなことを述べている。
「かつて山暮らしは一つの文化だった。山菜の採りかたや時期、採ったものの処理、狩の技術、木の実の食べかた(クルミやクリはそのまま食べられるが、アクの強いトチなどは手間をかけてアク抜きをしなければならない)。夏は炭焼き、渓流のイワナ釣り、秋になればキノコ採り。ブナの林は実に多くの実りを用意して人間と動物たちを養ってきた。そういうものすべてが失われてしまった。それどころか山そのものがなくなろうとしている。古いものが消えてゆくことを単なるノスタルジアから哀惜しているわけではない。千年がかりで作られた知識の体系が失われようとしているのは、ちょうど大きな図書館が燃えているのを見るようなもので、いかにももったいないと思うのだ。」
このような知識は、一度失われてしまえば、回復することは難しいし、なぜ大切かといえば、リアルと触れ合う貴重な技術だからだ。逆説的にみえるかも知れないが、我々が外界から受け取る情報量は、情報化時代になり、ますます減ってきているのだ。それは、リアルが失われつつあるからである。「自然」という言葉は今、甘ったるい響きを帯びてしまっているが、それとは別に、これに力強い意味を付与する努力が、必要なのだと思う。