中井久夫を読んで天を仰げ

日時計の影

日時計の影

中井久夫は、現代の日本には稀な知識人にして大読書家であり、そのエッセイ集(と称されておられるが、論文集でないだけで、本当はそう呼んでよいかわからない)は、出版されるたびに直ちに購って耽読してきたものである。本書もそのつもりで読んだのだが、何故か最初の方は頭に沁み込んでこなかった。どうしたことかわからなく、多分自分の方に問題があるのだと思う。
 とは言っても、「清陰星雨」からの収録はすらすら読めて面白かった(勿論それだけではなく、いつも通りいろいろ考えさせられた)し、なんといっても河合隼雄論は感動的だった。最近、中沢新一も文芸誌に河合論を書いていたが、それと並んで出色のものだと思う。(河合の死についてだが、なんとなく、意義深いというか、説明しにくいのだが、高僧のようなというか、そういう死になるのかなと漠然と思っていたので、あの死は意外だったというか、ちょっとショックだった。中井は、河合文化庁長官を炎天下に高松塚の謝罪に行かせた何者かに対して怒っていたが、河合ほどの人でもよい死に方をさせなかった現代は、本当にひどい時代だと思う。)
 しかし、最も素晴しかったのは、オディッセアス・エリティスの「アルバニア戦線に倒れた少尉にささげる英雄詩」の翻訳である。訳詩ではあるが、叙情に流されやすい日本語で、これほど力強い詩が可能だとは、まったく驚かざるを得なかった。日本語の詩人に対し、これを読んでどう思うか、ちょっと聞いてみたいような気もするくらいである。これはカヴァフィスやヴァレリーの訳詩集もまた読まねば、などと思ったが、しかし、このようなところでは、中井久夫のような人には到底かなわないと、嘆息したくなるのも事実だ。我々は貧しすぎる。詩は、ごまかしが利かない。