見田宗介はもう古いのか

今をときめく社会学者である大澤真幸宮台真司は、この見田宗介門下であるが、本書はその大澤や宮台のバックボーンにもなっているような、キー・ブックと云えるかもしれない。実際、大澤の『虚構の時代の果て』の「虚構の時代」というのは、本書の第一部における分析から採られたものであるし、宮台の近著である『日本の難点』に頻出する、社会の「底が抜けている」というのも、本書のタームである。正直いって本書は、徹底して抽象的で興奮させられるのにも拘らず後に残らない大澤や、扇動家になった宮台よりも、おもしろかったと云えるだろう。それは、確かに古いこの本の題材が、頭の古い自分にフィットした、ということであるかも知れないが、問題はその古さである。何かここには、もうダメだと思いながら、なんとかかろうじて繋がっているというか、諦めかかってはいるが、なんとか諦めていないというか、そんな拙い比喩でも用いたくなるようなところがまだある。ここらあたりが、もう既に切れてしまっているような宮台などと違うところだと、そんな風に感じられるのだ。
 そんなことを書いてしまうと、もう言うことがなくなってしまう。(本書の内容は題名そのままである。)そうそう、小さな声で語られるのも共感できる。喧しいのがいけないという訳ではないのだが、小さい声で語る人は少ない。その性格上、そういう人は埋没しがちになってしまうのだ。それにしても、著者は最近、どういう仕事をしているのだろう?
増補 虚構の時代の果て (ちくま学芸文庫)

増補 虚構の時代の果て (ちくま学芸文庫)

日本の難点 (幻冬舎新書)

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