デリダはやっぱり刺激的

精神について―ハイデッガーと問い (平凡社ライブラリー)

精神について―ハイデッガーと問い (平凡社ライブラリー)

デリダハイデガー論である。といってもデリダ流だから、素朴なというのとは正反対で、細部に延々と粘着しているのはいつも通りだ。デリダは、ハイデガーにある「Geist(精神)」の語に拘るのだが、これはハイデガーがあまり用いない語であるのを逆手にとって、『存在と時間』では極めて慎重にしか使われていないこの語が、いわゆる『総長就任講演』では、その派生語と共に、安易に(という言い方は、慎重なデリダはしていないが)特別な意味を帯びてきていることを指摘する。これは勿論、言外にハイデガーの親ナチズムを批判しているのであろう。そこからデリダは、戦後においてもハイデガーのドイツ中心主義は変っていないことを剔抉する。
 しかし、ハイデガーの「Geist」が「炎」だ、というデリダの結論は、確かにハイデガーもそうは言っているのだが、どういう意図で指摘されているのか、自分には判らなかった。プネウマとプシュケーとゾーエーに関して、ということであるらしいが。それから、頻出するplutôtとplus tôtの地口は、あまりいい趣味とは思えない。
 などと言ったが、久しぶりに「現代思想」を読んで、本当に刺激的だった。こう、難解というのは、どこか気が引き締まるところがあるように思える。「現代思想」ももう終ったなどと思わず、汲むべきところは自分にはまだまだ多いようだ。