かつて
柄谷行人は、日本のマンガやアニメ、
サブカルチャー文学が世界で持て囃されるのは、そこに「構造しかないからだ」と喝破したが、本書は、著者の言うとおり、この柄谷の発言を、
村上春樹や
宮崎駿に適用して証明してみせたものである。その手続きはきわめて詳細なもので、それは特に、村上の『
羊をめぐる冒険』について著しい。しかしまあ、そんなことはいいし、そもそも自分は、宮崎アニメは『
もののけ姫』までしか見ておらず、春樹にしても『
1Q84』どころか、『
海辺のカフカ』すら読んでいないのだから、何をか言わんや、である。だから、何となく気になったことだけ、二三言っておこう。まず、本文中に「
ビルドゥングスロマン」の語が頻出するということ。主人公が成長して、成熟した大人になる、というようなことは、今では(活字の中の世界では)殆ど意識されないことではないか。少なくとも
東浩紀なら、この語は意図的に使わないのではないか。著者は「
ポストモダン」より「近代化」を目指すとはっきり述べているから、これは確信犯的にそうしているのだと思う。それから、些細なことだが、著者もついにネットに「接続」し始めたのだな(それも否定的に)、ということ。あれこれ考え合わせると、この優れた批評家(=実作者)は、「多数の読者」というのを切り捨て始めたのかな、とすら思われてくるのだが、本書は果して(特に若い)読者にどう読まれるのだろう。「ウザい」とか思われないといいが。