広中平祐の「俗書」に打たれる

生きること学ぶこと (集英社文庫)

生きること学ぶこと (集英社文庫)

個人的なことを書きますと、いま多少忙しくて、なかなか読書やブログの更新もしかねる程なのですが、なんとなく本書をパラリと開いてみたところ、文章のトーンとでもいうものに一瞬で惹きつけれられてしまいました。で、あちらこちら拾い読みしている内に堪らなくなり、結局通読してこんなものを書いている始末です。(早く寝ないといけないのですが。)いや、よくある成功者の回顧談には違いないので、自分がどこに本書の魅力を感じたのかは、はっきり言うことはできないでしょう。
 著者は云うまでもなく、フィールズ賞を受賞した世界的な数学者で、専門は代数幾何であり、複素代数多様体における特異点の解消が主な業績です。複素多様体上の代数幾何というのは自分は勉強したことがないのですが、本書における、ジェットコースターの地面への射影を比喩とした一般向けの解説はわかりやすく、素人のこちらにも数学の雰囲気が伝わってくるのが楽しい。岡潔やグロタンディーク(本書では「グロタンディエク」と表記。この人の名前の日本語表記は色々あり)など、ビッグネームとの接触のエピソードもわくわくさせられる。(しかし、フィールズ賞受賞時の業績解説をグロタンディークがやってくれた程だというのは凄い。彼は、広中を高く評価していたようです。)
 本書にこんな一節があります。「ある哲学者が指摘するところによれば、欧米人は一つの問題があると、それをいろいろな要素に分けて、あらゆる角度から徹底的に調べ上げる。これに対して東洋人は、一つの問題があるとそれに似たような問題をどんどん集めてくる。いわば大きな知恵袋をもっていて、その袋の中に似たような問題をつめこんでいく。そして袋はやがて宇宙的な大きさになって、従ってその内容に関する議論も宇宙的な議論になって、最後には初めの問題などはどこかに消え失せてしまう、というのである。」一般論としてこれが成立するか、特に最近どうかは分りませんが、これからしてみると、広中は西洋型の数学者のように見えます。しかし思うのですが、ここでいう「東洋人」の見せる、なんともいえない「深み」のようなものは、(岡潔のような数学者に対する反発にも拘らず)やはり広中も持っているようにも思われるし(断言は憚りますが)、これは我々が失ってはならないものなのではないでしょうか。西洋型の知識人は増えている現代日本ですが、かつての日本型の知識人、いや、そればかりでなく一般人も持っていた何かは、まだ失われていないのでしょうか。こんなことばかり、気になるのですが。
岡潔についてはid:obelisk1:20081029を参照。