過渡期としての八〇年代:吉本隆明と坂本龍一

音楽機械論 (ちくま学芸文庫)

音楽機械論 (ちくま学芸文庫)

一九八五年の、吉本隆明坂本龍一との音楽についての対談である。いや、「対談」といっても、坂本が自分のスタジオに吉本を招き、実際にシンセサイザーを使って、音を創ってみせながら話し合ったり、さらには吉本に「作曲」(!)までさせてみせたりするのが、一風変っている。音楽は吉本にとって「苦手な」ジャンルであるから、感想はプリミティヴなものも多く、坂本がやさしく啓蒙したりする場面も多いが、話しているうちに超・素人の効果で、意外で新鮮な原理的指摘があったりするところなどは、さすがに吉本だと思う。まあ、浅田彰がいうような、「(用語が不正確で)吉本はわからない」という点も、少なくはないのであるが。
 それにしても、この本の属する時代は、少し前にニューアカが流行ったり、色々な意味で大きな過渡期だった。(自分にとっては懐かしい時代である。)音楽的にもアナログ・シンセサイザーの時代で、オシレーターを使って音を一から創っていくという時にあたり、今のサンプリングした音を加工してつくるデジタル・シンセサイザーとはだいぶ違う。なんとなく文化全体が、デジタルの到来を夢みつつアナログでいく、というような雰囲気をもっていたと云えるかもしれない。ここではまだ辛うじて玄人が残っていたが、いまではデジタル化で、完全に素人の時代になった。(こうやってブログなぞを書いている自分なども、完全にそうである。)吉本も坂本もそれをよく理解しており、殆ど「データーベース消費」という概念が出てきそうなくらいだ。その吉本の態度を見て、柄谷行人が「吉本は高度消費社会に呑み込まれた」というようなことを言ったわけだが、吉本も柄谷も、基本的な認識では一致していない筈がないと思う。柄谷の道を選ぶと、これから辛いけれども。
音楽図鑑完璧盤

音楽図鑑完璧盤