- 作者: 岩井克人
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2009/09/10
- メディア: 文庫
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本書はまず、「法人」としての株式会社というものの不思議さの解明に始まり、そこからの帰結として、記述は展開される。「法人」の奇妙さというのは、株主に所有される「モノ」としての側面と、他の企業などと契約を結ぶ際の主体となる、「ヒト」としての側面とをもつ、両面的な存在に他ならないという点である。これは、本書に拠れば中世の「普遍論争」を思わせるのであり、「モノ」としての側面は唯名論(ノミナリズム)、「ヒト」としての側面は実念論(リアリズム)に対応するという。これは単なる衒学的分類なのではなく、例えば、一時期よくいわれた「日本型資本主義における会社の特殊性」なども、日本の会社は実念論的形態の(つまり「ヒト」としての側面が強調された)法人なのであって、資本主義と何ら不整合ではないというのだ。
そこから著者は、日本的資本主義がポスト産業資本主義に有利な点さえあることを論証するなど、具体的な分析に入るのであるが、まあそれは措こう。個人的に興味深かったのだが、ポスト産業資本主義における会社の資産というのは、個人のもつ知的能力や、その会社でうまく仕事をしていくノウハウなど、目に見えない形の価値がとても大きいというのである。それは社員それぞれにもいえて、例えば転職すると現実には給料がかなり下がってしまうケースが多いのも、個人のもつ価値のうち、その会社内でしか通用しないノウハウの価値がいかに大きいかを、示しているのだという。
それから、些細なことだが、ベンチャー企業の立ち上げの話を読んでいると、突拍子もない連想だが、生命が誕生してくる最初のところが思い出されてしまった。生命はオート・ポイエーシス的過程であるが、そこに至るにはどこかでサイクルができなければならない。ベンチャー企業が成功するというのは、つまり会社としてうまく「廻っていく」ようになっていくことであるが、生命と同じく、その「サイクル」をどうにかして創りあげねばならない。
著者は最後に、ポスト産業資本主義のもとで国が繁栄するには、「起業」がたくさん起らねばならないというが、その点日本は、世界各国と比べて「例外的に」起業者の数が少ないという。今の日本人は、「乱世」に対し野心をもつ者が少ないということだろうが、自分の周囲をみても、また自分自身を顧みても、確かにそうなのだろうと思う。(野心をもって成功すると、ホリエモンのように袋叩きにあったりする。)「野心」ではネガティヴ・イメージだというなら、「チャレンジング・スピリット」ではどうだろう。また日本は、若者が著しく将来を期待しない国だという統計的データがあるが、さてこれも、どういうところからこうなってしまったのであろうか。