戦乱の地としてのアフガニスタン

アフガニスタン―戦乱の現代史 (岩波新書)

アフガニスタン―戦乱の現代史 (岩波新書)

古くからのラピス・ラズリの産地としてのアフガニスタンから、9・11後のアフガニスタンまでを、「戦乱の十字路」として語る本である。アフガニスタンはその地理的な位置により、ヨーロッパのポーランドにも比すべき、戦乱に巻き込まれやすい土地であった。もとより長らく他民族に支配され、固有の政治主体をもたず、独自の王朝ができるのがようやく十八世紀のことである。十九世紀には、イギリスとロシアの帝国主義的行動に翻弄されたが、大国のパワーゲームの中で偶然うまく独立し、二十世紀になって王政の下で近代化を急いだ。
 アフガニスタンが大きく変るのは、一九七三年に軍のクーデターによって王政が廃止されて以降のことである。背後にはソ連があった。そして、衝撃的な、一九七九年のソ連軍のアフガニスタン侵攻である。だが、この時の(ブレジネフ時代の)ソ連の思惑は、分っていないことが多いらしく、様々な要因が重なって行われたらしい。周知のごとく、これは「ソ連にとってのベトナム戦争」になり、結局失敗に終った。
 話がややこしくなるのはここからである。ソ連軍は撤退したが、その傀儡政権には支援を続けた。ソ連軍に立ち向かったゲリラたちは内戦になり、傀儡政権は意外にも持ちこたえる。湾岸戦争の余波で政権は崩壊するが、新しい秩序が生まれるかどうかという時に忽然とあらわれたのが、「タリバン」だったのだ。
 タリバンが出てくる背景は混沌としている。背後に、カスピ海付近からの石油パイプラインの利権を望む、パキスタンの存在があったことは間違いないようだ。パキスタンは特殊なイスラム原理主義の団体を軍事化し、アフガニスタンに送り込んで実権を取らせてしまったのである。これがタリバンだったというのだ。だから、タリバンというのは、アフガニスタンの人々にも異様に思われて当然だったのである。そして、その訳のわからない武装集団に流れ込んだのが、ビンラディン率いる国際テロ組織「アルカイダ」だった、ということなのである。
 その後の9・11以降については、よく知られているだろう。ひとつ書いておけば、アメリカらはアフガニスタン空爆して民間人を多数殺したが、彼らはタリバンアルカイダとはまったく無関係だったということだ。本書に拠れば、タリバンの信条はふつうのイスラム教徒からしても理解しがたく、嫌悪感すら抱かしめるものらしい。イスラム教徒をすべて一緒くたにし、「十字軍」を叫ぶ(実際にブッシュJr.はこれを言って、イスラム教徒の猛反発をくらった)などもっての他だと思う。オバマアフガニスタンへの軍の増派を行っているが、これは我々も注視すべきことではなかろうか。