チェーホフの初期短篇集。中篇の「曠野」は、売れっ子・
チェーホフから、いわゆる純文学(というのは日本にしかないが)の作家への転換をなす作である。勉学のために生家から出された幼い少年が、大人と荒涼とした曠野を馬車で旅する様子だけを描いているのだが、それが淡々延々と続いて、退屈さを感じないでもない。しかし、道中で出会うロシアの下層の人々を、ありのままに描写していて、ここにこそロシアの大地があるとも思われる。
サマセット・モームは「外国の人々を知るには文学が一番で、それも一流ではなく二流のがいい。ロシアなら
チェーホフ」というようなことを書いていたが、それについて
開高健は、
チェーホフが二流とは思わないが、それを除けばその通りだと云った。「曠野」は退屈だと書いたが、後から思えば、この集に収められている他の短篇と比べるに、記憶に鮮やかに残っているのは、
モノクロームの写真のような、この「曠野」の方なのだ。これはまた、(これまた日本にしかない)
私小説のトーンをどこか思わせるところがあり(もちろん、外見的には
チェーホフと
私小説はまったく異なるが)、
チェーホフが日本の
近代文学者によく読まれたことを考えると、それは当然と云えなくもない。