熊谷守一の『へたも絵のうち』

へたも絵のうち (平凡社ライブラリー)

へたも絵のうち (平凡社ライブラリー)

熊谷守一の絵は大好きだ。熊谷が岐阜出身なのも恐らくあって、岐阜県美術館は熊谷の絵を結構持っているが、ここで開かれた展覧会の絵に、いっぺんで参ってしまった。Simple and deep というのか、抽象画のように簡明でありながら、本質をずばりとついている。「超俗」といわれるが、それは生活を突き詰めていった果てに突き抜けたものであって、人との交際を疎んじるような似非仙人とは違い、すぐに友達が出来てしまうことなど、それを物語っている。生活を突き抜けていくというのは、禅坊主の目指すところでもあろうが、熊谷の絵のような境地は、なまなかな坊主の及ぶところではないだろう。一方で、別の言い方をすれば、熊谷の絵は、世界のどこに出しても恥かしくないものなのである。そこが凄いところだ。
 という訳で本書だが、谷川徹三の熊谷論と赤瀬川原平の解説が見事なので、特に付け加えるようなこともない。適当に感想を述べよう。本書は著者九十一歳のときの聞書きであるが、絵に劣らず、言葉もシンプルで、坦々と己の半生を語っていきながら、ホントかよといいたいようなユーモレスクなエピソードに満ちている。例えばこうだ。
「ある日、例によって昼間眠っていたところ、ガタゴト音がして空巣がはいってきたことがありました。こちらは目が醒めたがじっとしていると、何かぶつくさひとりごとをいっている。声を聞くと女です。ところが、あんまり長いことブツブツひとりごとを言っているので、こちらもついうっかり合いづちを打ったら、向こうはびっくり仰天して逃げて行ってしまいました。昼間なのに雨戸が閉めてあるので、留守だと思ったのでしょう。」
どうだろう。思わず(笑)と書き足したくなるような話ではないか。また、本書はこう終っている。
「私はだから、誰が相手にしてくれなくとも、石ころ一つとでも十分暮らせます。監獄にはいって、いちばん楽々と生きていける人間は、広い世の中で、この私かもしれません。」
家の庭がすでに、一乾坤なのである。こういう人が生きていける世の中であってほしいと、つくづく思う。