ヘレニズム時代のギリシャ小説

カイレアスとカッリロエ (叢書アレクサンドリア図書館)

カイレアスとカッリロエ (叢書アレクサンドリア図書館)

作者であるカリトンは、小アジアのアプロディシアスの人で、紀元前後から二〇〇年頃(という、広い幅でしかわからない)に活躍したと見られるが、詳細は不明である。本書は古代における恋と移動の小説で、時代設定としては前四〇〇年頃になり、舞台はシケリアからエーゲ海ペルシャから中東に跨る、広範囲に亘っている。ヘレニズム世界で(原文はコイネーである)かなり人気のあった小説らしく、同時代に本書についての言及がいくつかあり、その人気ぶりを皮肉られているらしい。「そんな通俗的な恋愛小説を読むなんて」、などという感じだろうか。もちろん近代小説のようなリアリズムではなく、ヒロインの「アプロディテのような美しさ」に高位の男がすぐにまいってしまうなど、展開もご都合主義的といえばそうなのだが、既に読者を引っ張っていく工夫があり、いま読んでも意外と楽しめる。現代のマンガも、多くはこの程度のものであるから、そう馬鹿にしたものでもない。
 ペルシャの実在したアルタクセルクセス二世を思わせる人物がメイン・キャストの一人で登場するなど、本書は歴史というものを感じさせる点でも興味深いが、訳者の解説に拠ると、ギリシャ小説は歴史書に大きく影響を受けているというのも面白い。実際本書にも、トゥキュディデスから採ったような句が、幾らかあるらしいのである。
 翻訳も、少なくとも違和感を覚えるような文章はなく、なかなかよいものだと思う。しかし、よくもこのような文献が訳されたものだ。この国文社の「叢書アレクサンドリア図書館」のシリーズは、何とか常時入手できるようになっているといいが、まあむずかしいだろうな。