スクリーチと高山宏コンビの『春画』

春画 片手で読む江戸の絵 (講談社学術文庫)

春画 片手で読む江戸の絵 (講談社学術文庫)

高山宏訳。スクリーチと高山のコンビなので、本書は期待していた。「江戸の春画マスターベーションのためのものだ」というテーゼが画期的なのはわかるが、こちらがナイーブなのかもしれないけれども、ちょっと露骨すぎるというか、粋でないという感じを受けた。性を語るに、徹底したリアリズム(これは「剥き出し」という意味ではない)で行かないのなら、個人的には、「陰影」があった方が好ましい*1のである。まあ、これは研究書だから、無い物ねだりではあろう。上野千鶴子の見事な解説に、江戸の春画は私秘性がなさそうで、集団性が想定される(だから、マスターベーション向けというのは考えにくい)とあるのは、重大な指摘だと思う。
 しかし、本書からは逸脱するが、この江戸のポルノグラフィーと、現代のネット上にも溢れる、現代日本のいわゆる「二次元」ポルノグラフィーとは、その徹底したアモラル性で酷似しているのには、驚かされる。ここには西欧における、キリスト教の抑圧による「涜聖」のようなものがまったくなく、なんともあっけらかんとしているのだ。一方で、江戸になくて現代日本のそれにあるのは、内臓が露出したかのような、その大変なペドフィリアである。エロゲー論議もいいが、誰かそのあたりの事情を解明してくれる人は、いないものであろうか。

*1:まあ、ヴィクトリア朝的偽善、といっても同じことかも知れないが。